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Googleマップのピンのように世界中で「刺さってみた」―『地球の刺さり方』著者Kozee Kidoさん

  • 2022年2月7日

ニューヨークへのダンス留学が世界旅行の始まりに
一番印象に乗っているのはウユニ塩湖

 これまで100カ国以上を旅し、さまざまな都市や景勝地で「刺さってきた」クリエーターのKozee Kidoさん。その様子をSNSで発信したところ、その奇想天外なパフォーマンスがバズり、『地球の刺さり方』という著書も出した。旅のきっかけはブレイクダンスの勉強のために訪れたニューヨーク。その後、さまざまな職歴を経て、世界に「刺さる」ことを思いついたという。その発想の原点とは。思い出に残っている「刺さった」場所とは。(聞き手:弊社代表取締役社長兼トラベルビジョン発行人 岡田直樹)

こちらが実際に刺さっている写真
場所はモンゴルのウランバートル郊外


-まず、海外に興味を持ったきっかけを教えてください。

Kozee Kidoさん(以下敬称略) 18歳からブレイクダンスをやっていたんですが、単純に「ダンスならニューヨークだろう」と思って、単身ニューヨークに行ったのが始まりです。2001年、9.11同時多発テロの直後のことです。最初は観光ビザだったので、3ヶ月の滞在でした。今こそ多様性の時代と言われてますが、ニューヨークは当時から多様性の溢れた街で、日本人の僕にしてみれば衝撃的でした。

 友達になった人が聞いたことのない国の人だったりして、実際にダンスを通じてコミュニケーションしていると、「いつか行ってみたい。このようなファンキーな人のカルチャーに触れてみたい」という気持ちが連続的に起こりました。それが、世界に興味を持ったきっかけですね。

-生計はどうやって立てられていたんですか。

Kozee Kido ダンスを始めた頃から、漠然とニューヨークに行きたいと思っていたので、高校生の時にバイトをしてお金を貯めていました。9.11の直後だったので、航空券は恐ろしく安かったので、「今がチャンス。今しかない」と思いました。

 最初の1ヶ月は、今のエアビーのようなレジデンスに住んでたんですが、知り合いのダンサーができると、そこの家に居候させてもらいました。渡米1ヶ月後くらいからは、知り合いの家を転々としていました。それでも、当然ながら生活費は足りません。最後の1週間はお金がなくなり、6キロも痩せてしまいました(笑)。

 これまで100カ国以上を旅してますけど、今思うと、そのニューヨークの3ヶ月は怖いもの知らず。自分で自分を褒めてあげたいですね(笑)。

-ニューヨークから帰国後、世界を旅するきっかけは何だったんですか。
Kozeeさん

Kozee Kido 観光ビザの後もちょくちょくニューヨークに行って、トータル2年くらい滞在したことになります。その間、ダンスの大会で優勝もしました。帰国後はアパレルの仕事に就いたんですが、その本社がハワイにあり、英語でコミュニケーションがとれたので、ハワイに行くことになりました。身近に美しい海がある環境で過ごせて、ハワイには別の楽しさがありましたね。本当に海が好きになりました。

 その後、先輩の紹介でテレビ番組の制作会社で働くことになります。ADとして旅番組に多く関わりました。その当時、海外には行ってましたが、日本はほとんど旅をしたことがなかった。でも、仕事を続けていくなかで、気づいたら47都道府県すべて訪れていました。そこで気づいたのは「こんな面白い国はないんじゃないか」ということでした。

 外国にいると日本のことを知らない人に会うことも多い。そういう人たちに日本を説明する時、自分は日本代表と思って接しなければいけないと思ってました。そういう意味で、47都道府県を巡った後で、海外を巡る準備ができたと思ったんです。

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