タスマニアの視察旅行で思う国の成り立ち、国名「オーストラリア」の由来って?

  • 2025年6月15日

 オーストラリア政府観光局(TA)が先ごろブリスベンで開催した旅行商談会「ATE25」。これに合わせて企画された視察旅行でタスマニア島を訪れた。行程の隠れたテーマだったのはオーストラリアの流刑地、植民地としての歴史。なんとなく知ってはいるけど言われてみるとハテナ?、そんなオーストラリアのトリビアを交えながらタスマニアの新たな魅力を紹介したい。

ボノロング野生動物保護区で出会ったタスマニアデビル。自然や動物がタスマニア旅行の大きな醍醐味

 今回の視察の表のテーマは「Untamed & Untold」、つまり「手付かず」で「知られざる」な魅力だ。でも日本ではタスマニア州自体がオーストラリアへの旅行者全体に占めるシェア1%強とニッチだしそのなかでも特に知られていない部分となると…で行き着いたのがトリビアだったが、結果としてはきっと多くの方に「へぇ」や「なるほど!」をお届けできるものになったはず。(もちろん視察レポートも。過去一番美味しかった体験も!)

「オーストラリア」の由来は…

 さて、早速だがオーストラリアの国名の由来とは?答えは、オーストラリア国立図書館によると「未知の南の大地(Unknown South Land)」を意味するラテン語「Terra Australis Incognita」から来ているらしい。つまりオーストラリアとは「南」。思いのほかシンプル!

タスマニア島の緯度を北に置き換えると島の南端(=南極側)が北海道の美瑛あたりで北端は青森県の三沢空港のあたり。(画像はマウントウェリントン)

 欧州では「南半球にでっかい土地があるらしい」という言い伝えとともに「Terra Australis Incognita」や「Australia」という言葉を何世紀も受け継いでいた。そして17世紀にオランダ人がオーストラリアを発見。その時は「ニュー・ホランド」と呼んだそうだが、遅れて到来した英国人が1770年に領有を宣言。1804年には英国人探検家マシュー・フリンダースが今のオーストラリアを初めて「Australia」と記した。国立図書館にはその地図のコピーが保存されている(原本は英国)。

緯度は北海道あたりだが海洋性気候によってさほど寒くはない。とはいえ4月中旬は秋らしい雰囲気

 では今回のタスマニア州の名前はというと、こちらも「ヴァン・ディーメンズ・ランド(Van Diemen's Land)」というオランダ名があり、英国統治になっても変わらず使用。しかしやがて英国ではそれが過酷な刑罰や恐怖の代名詞のようになったらしく、1856年にはその悪印象から離れるため同地を発見したオランダ人探検家アベル・タスマンの名から現在のタスマニアへと改称されることになった。

ホバート中心部から車でたった10分ほどの距離にはクオッカに似た固有種のワラビー「パディメロン」や鳥たちが多く暮らす緑豊かな森(宿泊したイズリントン・ホテルから徒歩15分のウォーターワークス・リザーブ)

 ちなみに、オーストラリアの別名には「ダウン・アンダー」という表現も。ニュージーランドを含むこともあるそうだが、これも場所的特徴が呼び名となった例と言える。TAが進める「『グッデイ!』ではじめよう、オーストラリア」のキャンペーン動画でも、1981年の同名のヒット曲がアレンジして使用されていた。

 次のページは流刑地としての側面を紹介。1776年の米国独立が英国にとっては大きな流刑地の喪失を意味しそれがオーストラリアが植民地化される理由となったというのも興味深いし、英国の産業革命による失業が犯罪者増加の一因だったという経緯も世界史のおもしろさだが今回は割愛、タスマニア州が担った役割や受刑者たちについて見てみよう。