コロナで需要消滅のMICE市場をどう乗り越えた?国内DMOの課題は?ープロアクティブ代表 小島史寛氏

 国内で開催されるMICEをデジタルで支援し、多くの旅行会社との協業を果たすとともに、地域のDMO支援なども行うプロアクティブ。人が集まれないコロナ禍で需要が限りなく減少したMICE市場において、早期回復を実現した同社はいかにしてコロナ禍を乗り切り、ニューノーマルに適合したのか。また、なかなか存在感を発揮できない国内DMOの課題について、同社代表の小島史寛氏に伺った。

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小島史寛氏
-自己紹介と貴社事業についてお伺いさせてください。

小島史寛氏(以下敬称略) 1990年に新卒で日本交通公社(現:JTB)に入社し、MICE専門の支店で11年間営業職として、オリンピックの招致など現場で多くのことを経験しました。

 その後、2001年に現在在籍している株式会社プロアクティブ(当時社名はプロアクティブ コンベンション株式会社)に入社。 コンベンションと言われる学術集会の運営に加え、まだ黎明期だったインターネットを活用したシステム提供を事業の柱に据え活動を始めました。

 活動開始直後は、会社の看板がない営業の厳しさに直面しつつ、なんとか細々とした人脈を辿り少しずつ案件をいただけるようになり、従業員も増えていきました。ただ、利益が出て事業化するまでには相当の時間が掛かりました。

 2007年代表に就任し、以降はコンベンションだけではなくMICE全般に領域を広げ、デジタルを活用したMICE支援と、MICE業務のBPOを柱としています。

 2015年からはエリアマネジメント事業にも挑戦しており、各地域のDMOの支援も行っています。第2種旅行業も取得していますので、旅行企画のサポートから販売にも携わっています。

-MICE事業では、コロナ禍が大きな影響を及ぼしたと思います。

小島 はい。当社ではMICE案件の中止や延期の影響で、1億5000万円の売上損失が発生しました。

-その中でも早期回復、事業拡大を実現されてきたと認識しておりますが、要因はどこにあったのでしょうか?

小島 素早く先回りした軸のブレない意思決定と従業員含めた会社全体への情報発信です。

 振り返ると、最初に経営層や社員に指示をしたのが2020年2月13日でした。経営層には、第一四半期の収支予測の再確認や在宅勤務などの整備を、社員には全員の安全確保を約束するとともに、事業はしっかりと継続していくという意思を共有しました。

 そこからは意思決定と行動の繰り返しで、情報収集やリスク分析、テレワークの内容精査、資金調達などを行いつつ、社員には3月以降も頻繁に対応方針を発信しました。

 また、システム化や非接触などのサービス化に向けた事業転換を実施することで、緊急事態宣言解除後、いち早く顧客に対しニューノーマルなMICE提案を行うための体制づくりを行ってきました。在宅勤務中にも人材育成から提案書の作成などの準備を進めおりました。

 会社全体としては「お客様に対し何を提供できるのか」を第一に考え、5月からはヒアリングなど顧客とのコンタクト及び商談などを実施、可視化することで、結果として2020年の6月~8月には、失った1億5000万円分の受注を取り戻し、業績は2021年時点で2019年を超えることができました。

 当時を思い出して、経営者として重要なことは「希望を伝える」こと。どうしようかと迷う状況の中でも「ここまで頑張ればどうなる」といった想定も含め社員に伝えていくことだと感じます。また、そのためには全社の経営状況を多角的に理解しておくことも重要です。

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