エアカラン、ニューカレドニアの翼として40周年、日本市場の回復に自信
成田も就航20周年
離島・隣国の周遊にも意欲
今年で創業40年、成田就航から20年の節目を迎えたエアカラン(SB)。ニューカレドニアのフラッグキャリアとして地道に事業を成長させてきた同社がコロナ禍を経た今、これからどのような事業展開を計画するのか。特に最重要市場のひとつである日本の現状をどう捉え、どのように回復を目指すのか。同社CCOのウィリアム・ル・グラン氏に話を聞いた。
ウィリアム・ル・グラン氏(以下敬称略) エアカランは1983年に創業した。現在は4機の大型ジェット機と2機のプロペラ機を保有しているが、当時はそれぞれ1機ずつで南太平洋内の地域路線のみを運航していた。
エアカランの存在意義は、海外の航空会社に依存することなく重要な航空アクセスを確保し、長期的に持続可能な航空輸送を実現すること。そして、ニューカレドニアはフランスの海外領土であることからパリや欧州とニューカレドニアのアクセスは特に重要となる。
創業当時、パリからニューカレドニアや日本、東南アジア、豪州などへの路線はフランスの航空会社であったUTAによって運航されていたが、1990年にエールフランス航空(AF)に合併。そうしたなかでSBは2000年に初となる長距離路線を関空に就航し、2003年には成田線をAFから引き継いだ。
ル・グラン氏 コロナ前には、国としての観光振興戦略に合わせて路線の増強を進めていた。具体的には日本路線を増便したほか、他の可能性も模索して中国市場、特に香港を介した珠江デルタ地域の需要獲得に可能性を見出していた。
しかしコロナで状況は一変。中国は長期間に渡って往来が止まり、さらに地政学的問題も浮上した。そのため2022年7月からリカバリーを牽引する新たな長距離路線としてシンガポールに就航している。
長距離路線で重要なのは、ニューカレドニアと欧州のアクセスが前提となること。例えば成田線では、日本/ニューカレドニア間のポイントツーポイントの需要はコロナ前でも全体の30%のみで、新路線の選定時にもパリへの移動の利便性を重視する。
シンガポールは、東南アジア各国との相互の需要が見込めるほかハブ空港としての充実度も高いことに加え、以前は成田経由の方がより短い時間で欧州と行き来できていたのがウクライナ戦争によって飛行時間に差がなくなった。シンガポール路線はこれまでのところ非常に好調で、現在は週4便の運航だが7月には週5便へと増便する。