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地元に愛される老舗ホテル、支えるのは顧客との信頼関係と社員のアイデア―新潟東映ホテル取締役支配人 大倉善紀氏

  • 2022年2月24日

コロナ禍でも稼働率を維持
「まずはやってみる」でヒット商品生み出す

 開業以来60年をかけて地元に愛されるホテルの地位を確かなものにした新潟東映ホテル。長年にわたり顧客からの信頼も厚く、コロナ禍にあっても稼働率は50%から70%のレベルまで回復しているという。料飲関係でもヒットを連発する老舗ホテルの底力の秘密を大倉善紀支配人に聞いた。(聞き手:弊社代表取締役社長兼トラベルビジョン発行人 岡田直樹)

大倉氏

-新潟東映ホテルの沿革と概要から説明してください。

大倉善紀氏(以下敬称略) 東映の初代社長だった大川博が、出身地である新潟市に国際ホテルを作ろうと考え、県内初の洋式ホテルとして1961年に開業したのが始まりです。昨年7月には60周年を迎えました。客室数は133室。300名以上収容可能な大宴会場が2つあり、地元企業のレセプションやパーティーの利用が多く、結婚披露宴も行います。

 館内にはメインダイニングの「レストランレスティーニ」、高級ブランド牛を提供する「ステーキハウスあづま」、コーヒーハウス「レストーク」の直営レストラン3軒があります。

-大倉さんの自己紹介もお願いいたします。

大倉 新潟県長岡市で生まれ、新潟ビジネス専門学校ホテル観光課を卒業後の1985年、新潟東映ホテルに入社しました。人と関わるおもてなしの仕事に関心があり専門学校へ進んだのですが、ちょうどリゾートホテルブームの時代でした。映画「私をスキーに連れてって」が大ヒットする直前。新潟県内もリゾートホテルの開業ラッシュを迎えていた時期に重なります。

 新潟東映ホテルでは30年以上営業を担当していたので、お客様がお客様を連れてきてくれるありがたさが身にしみています。お客様との信頼関係を築けばこそ、定期的に食事にお越しいただいたり、冠婚葬祭をご紹介してくださいます。また、法人顧客としてお付き合いした方が会社の周年パーティーや叙勲などのハレの日にご宴会場をご利用されます。コロナ禍中のホテルを気遣ってくださる長年のお客様も少なくありません。

 プライベートでは食べ歩きと新潟清酒の飲み比べが趣味で、特技はスキー(テクニカル所持)。

-新潟東映ホテルで長年仕事をしてきた中で印象に残ったエピソードがありますか。

大倉 入社当時の1980年代、新潟でもアイドルのコンサートが数多く開催され、有名な歌手やアイドルが新潟東映ホテルに宿泊することも多かったので、フロントスタッフとして働いていた私は胸が躍りました。ただ一番の思い出と言えば、俳優の菅原文太さんに詰め寄られたことですね。映画撮影のためご宿泊されていたのですが、マネージャーさんが間違えて、菅原文太さんが乗船する予定の佐渡行きフェリーの切符を持ったまま先行してしまったとかで、佐渡へ行けない事態となり困っておられました。フロントにいた私は、文太さんにドスの効いたあの声で「おい!何とかせい!!」と迫られ、あわてて佐渡汽船に電話で頼み込んで事なきを得ました。

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