【仕事を変える】大手旅行会社から独立、ニッチな宿泊需要を取り込む-MATCH松宮英範氏
宿泊事業と旅行事業を展開するMATCHの松宮英範代表取締役は、大手旅行会社からの脱サラ組。50歳の節目の決断だったというが、旅行・観光業界がどん底に沈むコロナ禍中の独立・起業に不安はなかったのか。答えは「不安だらけでした」。しかし「コロナ禍に背中を押されたのだ」とも。その説明からは長年にわたり旅行の仕事に携わってきた者の矜持が伝わってきた。
松宮英範氏(以下敬称略) 大阪生まれ大阪育ちですが、慶応大学に進学してからはずっと関東で、現在は横浜在住です。
学生時代は学業をさぼってアルバイトに精を出し、バックパックを背負って旅行ばかりしていました。沢木耕太郎の『深夜特急』に刺激され、主人公を真似て香港から東南アジアを巡り、ヨーロッパ、アメリカまで旅しました。それには子供時代に旅行と縁がない生活を送った反動もあります。父が事業で失敗し、経済的に恵まれない子供時代を送ったので家族旅行の記憶は1回だけ。外食もできず非日常な時間に飢えていました。ですから非日常の連続である旅行に強い憧れがありましたし、実際に旅に出ると素直に「旅行ってすごい」と感動しました。その経験は、その後旅行業界で働き続け、これからも旅行の仕事を続けていこうと思える理由につながっています。
大学卒業後は阪急交通社に入社し、昨年退職するまで26年間を過ごしました。この間に訪れた国は50カ国以上で、インドネシアの1泊300円のドミトリーから、ドバイの7ツ星ホテル「ブルジュ・アル・アラブ・ジュメイラ」まで、多種多様な宿泊施設を1000軒以上体験しています。国内も47都道府県すべてを旅しました。
松宮 最初は団体国内旅行を担当し、クレジットカードの会員やイベント来場者を対象とするクローズドマーケット向けの商品を販売しました。2泊3日の沖縄や北海道が2万9800円といった格安料金なので飛ぶように売れましたが、そのぶん航空座席やバスの手配が大変でした。
仕事自体は嫌ではありませんでしたが、もともと海外旅行が好きだったのでアウトバウンド部門への異動を訴え続け、1年後に海外旅行の担当になりました。ところが、好きな仕事ということもあって手を抜けず働き過ぎた結果、大病を患い長期入院。これが人生を考え直すきっかけでした。「このままの生活を続けたら死んでしまう」「サラリーマンを一生続けるのはシンドイかな」という疑問が湧いたのです。とはいえ、その後も20年間サラリーマンを続けました。
アウトバウンド部門にいる間は、主力の「トラピックス」、富裕層向け「クリスタルハート」、オーダーメードの「ロイヤルコレクション」の3ブランドを担当しました。「クリスタルハート」では中国の青蔵鉄道を天空列車と名付けて商品化した商品がヒット。また、団体旅行では、大学で美術を専攻していた経験を活かして企画した「モネの足跡をたどる印象派の旅」でツアーグランプリの準グランプリを受賞しました。
また、場合によっては2人で1000万円を超える旅行を提供する「ロイヤルコレクション」を担当したことで、プライベートジェットに同乗するなど人生観が変わるような貴重な体験もしました。多くの人と出会い、さまざまな体験をできた阪急交通社には感謝の思いしかありません。
松宮 きっかけはいくつか挙げられますが、一番大きかったのは50代になったことです。肉体的に衰え酒も以前ほど飲めなくなり目も悪くなった。孔子の「四十歳にして惑わず。五十歳にして天命を知る」の言葉も頭をよぎりました。会社員としてはある程度やり切ったし、そろそろネクストステージを考えようかなと迷っていた頃にパンデミックになり、それに背中を押されました。
次ページ >>> 起業で改めて感じた旅行業の特殊性