旅行事業と地域商社事業の2本立てでウィズ・アフターコロナの市場に挑む-たびまちゲート広島 長沢伸彦氏

  • 2022年6月6日

安売りや価格競争の意識は排除
地域商社事業部と連携して独自のツアー造成を展開

 2002年に広島の地元旅行会社として設立された「ひろでん中国新聞旅行」は、2019年に地域商社部門を立ち上げ経営を多角化。これに合わせて社名も変更し、昨年からは「たびまちゲート広島」として成長を目指している。「地元の旅行会社だからこそテーマ性あるコンテンツが発掘できる」と語る代表取締役社長の長沢伸彦氏に、地域に根差した旅行事業の強みと可能性について聞いた。(聞き手:弊社代表取締役社長兼トラベルビジョン発行人 岡田直樹)

たびまちゲート広島 代表取締役社長の長沢氏。同社が運営・管理を行う平和記念公園レストハウスの前で

-たびまちゲート広島の概要を説明してください。

長沢伸彦氏(以下敬称略) たびまちゲート広島は資本金1億5000万円、従業員48名。旅行事業と地域商社事業を手掛けています。当社の前身である「ひろでん中国新聞旅行」は、2003年に広電観光の旅行部門と中国新聞トラベルサービスが合併して営業を開始しました。

 広電観光は法人や修学旅行といった受注型企画旅行が強みで、一方の中国新聞トラベルサービスは新聞や折込広告を中心とする募集型企画旅行が強み。両社の得意領域が重ならずシナジー効果を期待できることから合併となりました。その結果、ひろでん中国新聞旅行は受注型に関して、海外へのインセンティブや視察旅行の拡大を果たしたほか、それまで小学校主体だった修学旅行顧客を中学校・高校にも拡大できました。また募集型に関しても、新たにクルーズ商品やフジドリームエアラインズ(FDA)のチャーターを活用した直行ツアー商品、プレミアムバスを使用した高品質型のバスツアー商品などを開発し、事業を広げました。

 2019年には広島銀行の出資を得て地域創生や地域貢献を目的とする地域商社事業部を立ち上げ、事業領域を多角化。昨年からは社名を「たびまちゲート広島」に変更しました。「たび」と「まち」の「ゲート」となって地元広島から感動を届けられる企業を目指すという思いを込めています。

-続いて自己紹介もお願いいたします。

長沢 宮島の対岸に当たる広島県廿日市市の出身です。大学卒業後に就職したのが広電観光で、合併に伴いひろでん中国新聞旅行に転籍しましたが、一貫して修学旅行やインセンティブなどオーガナイザーへの営業など、営業畑を歩んできました。取締役呉営業所長、取締役営業部長を経て2016年に代表取締役社長に就任し、現在に至ります。広島生まれの広島育ちで仕事もずっと地元。広島ひとすじの人間です。

-営業を長く務めるなかで特に思い出深い仕事はありましたか。

長沢 まだ青函連絡船があった時代に250人の北海道旅行を獲得し、営業担当者としてツアーに添乗した際のことは今でもよく覚えています。貸切寝台列車と青函連絡船を使って往復する行程で、大変でしたがお客様からの感謝の言葉に大きな達成感を味わえました。

-地域商社事業の立ち上げには、どのような狙いや経緯があったのですか。

長沢 事業会社として事業ポートフォリオを変えようと考えたわけではなく、親会社の構想を具現化した結果です。地域商社事業の主な内容は、広島市平和記念公園レストハウスの運営・管理、ひろぎんホールディングス本社ビル1階の「にぎわいエリア」の物販や店舗運営などを行っています。

 地域商社事業の立ち上げに当たり広島銀行の出資を受け、広島電鉄、中国新聞社、広島銀行の3社が親会社となり、各社より合計4名の出向者も地域商社事業に当たっています。また運営する施設の施設長には県外のDMOで活躍していた者などを採用し、接客や店舗運営のノウハウ等については専門コンサルによる教育指導も受けています。

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