「のぼせもん」が見る伝統産業の課題と選択-有田焼しん窯8代目当主 梶原茂弘氏、伝統工芸士 橋口博之氏

  • 2021年12月6日

作り手と買い手の距離を縮めて「行ってみたい町」へ
これからは個々の窯にこだわらないチームが必要

-有田焼のこれからについてどうお考えですか。
橋口氏

橋口 近年、暮らしの変化に応じて強化磁器をはじめ、素材の開発が進み、多様化してきています。しん窯でも佐賀県窯業技術センターが研究開発した従来の4倍以上の強度をもつ、高強度の磁器素材を使い、ウォッチブランドの「セイコープレザージュ」のダイヤルベースを製造しています。

梶原 主原料を変えていくのはどれだけ許されるのか、慎重に考える必要はあると感じています。「有田焼」としてどうしても譲れない何かはありますが、それでも変わっていかないといけない時代になっています。変わらないとジリ貧になってしまうのです。

橋口 個人的には、素材を変えてでも新たなブランドづくりに取り組む、というのも選択肢にはなるかとは思いますが、製造ラインも変わってきますし、まだまだ手探りの状態です。いずれにしても、今後は個々の窯だけに留まらないチームを作っていかないと、産業全体の基盤を支えられなくなると思っています。

 また、近年事業規模や形態の異なる伊万里・有田の窯元の若手経営者や後継者が活躍しています。SDGsの観点を取り入れたり、流通の仕組みの変えようとしたり、闇雲ではなく、有田焼の新しい哲学をつくろうと奮闘されています。

梶原 有田の町にも世代交代の波が来ています。30代から40代の若い経営者へのバトンタッチは必須です。彼らも皆10人未満の規模の窯の跡継ぎたちです。この中から特に才覚のある方が、50人、100人規模の窯に育てていくのでしょう。非常に楽しみです。

 本物である人、勉強好きな人を育てるための、今回のコロナ危機なのではないかとも感じます。どん底でも何かを感じ、1人でもやってやるぞ! というような活きの良い人たちを育てていかなければなりません。

-最後に、今思うことをお聞かせください。

梶原 有田焼には400年の間に10回の大ピンチがありました。例えば、1828年には文政の大火で有田焼の販売を担っていたエリアがほぼ全焼し、有田焼の販売機能が一切途絶えた時期もありました。それでも当時の生産者が立ち上がり、工夫を重ねて2年から3年で復興を果たしました。過去の危機においてどうやって生き残ってきたのかを掘り下げてみたら、今回の危機も乗り切るヒントや自分なりに腑に落ちるものが見つかるのではないかと考えています。

 私は「のぼせもん」、佐賀の言葉でいう熱血漢ですので、30年から40年後の有田は今より栄えた町になっていると思います。

橋口 手作り・手描きにこだわるしん窯で、描くということで自己表現ができ、お客様と繋がれる環境は本当に恵まれていると感じています。「器は人なり」という永遠のテーマと、お客様に適う作品づくりを追い求めて、自分を磨き続けていきたいと思います。

-ありがとうございました。