【若手ホテリエ覆面座談会・前編】キャリアアップに他ホテルへの出向/転職は必要?
東京・沖縄の若手ホテリエに聞く、現状と今後の展望
キャリアアップのための業界内転職が盛んなことで知られるホテル業界だが、近年はインバウンドの増加による人手不足や、同じ会社に勤め続けることで安定を求める志向が強まったことなどから、他のホテルに転職するケースは減ってきている。一方で、転職してビジネスホテルとリゾートホテルなど、異なるホテルを経験することでキャリアアップにつなげようとする動きも依然としてある。
こうしたなか、コロナ禍の現在もホテルの第一線で働いている若手ホテリエたちは、自身のキャリアをどう考えているのか。「筋金入りのホテリエ」育成を目的にしたビジネススクール「宿屋大学」と本誌が開催した、東京と沖縄、主要都市と観光リゾートという、ある意味対極にある地のホテルに勤務する20代から30代の若手ホテリエを集めたオンライン覆面座談会から、その考えの一端をのぞいてみたい。なお、座談会は2月19日にオンラインで実施した。
【参加者】
Aさん(39歳、男性)東京の外資系ホテル、沖縄のリゾートホテルを経て、高級サービスアパートメント勤務。ホテル業界13年目
Bさん(28歳、男性)沖縄県のホテル会社勤務、ホテル業界6年目
Cさん(28歳、男性)都内の外資系ラグジュアリーホテル勤務、ホテル業界5年目
Dさん(26歳、女性) 全国チェーンのホテル所属、沖縄のリゾートホテルでベル勤務、ホテル業界4年目
【モデレーター】
近藤寛和氏 宿屋大学代表、東京YMCA国際ホテル専門学校講師、立教大学観光学部兼任講師
26歳から10年間、都内の外資系ラグジュアリーホテルに勤めました。ベルやドアマン、オペレーターなどを統括している部署で5年ほど働き、フロント勤務を経て、エグゼクティブラウンジのチェックインやゲスト対応をしました。その後、沖縄の高級リゾートホテルに転職し、宿泊支配人としてマネジメント業務に3年携わりました。今年になって家庭の事情などから都内に戻り、高級サービスアパートメントのアシスタントマネージャーを務めています。
沖縄の大学を卒業後、すぐに県内のホテル運営会社に就職し、ずっと県内で働いています。グループホテルでのフロントやハウスキーピング、宴会担当などを経て、新規開業ホテルのオープニングスタッフになりました。2020年末から本社開業準備室に所属し、22年に県内で開業するホテルを担当しています。
23歳から都内のラグジュアリーホテルの料飲部で働いています。現在はルームサービスのトレーニング担当としてスタッフの技術指導を実施するほか、社員の心身の健康と生活を充実させるための取り組みを担当しています。
東京の大学を卒業後、大手チェーンホテルに就職しました。東京のホテルを希望していたのですが、出身地の沖縄のリゾートホテルのベルスタッフとして配属されました。会社のジョブローテーションの関係で、ハウスキーピングや宴会、料飲、フロントなどさまざまな業務を経験しています。
以前はパチンコ業界で働いていました。パチンコ屋の場合、常連のお客様はスタッフも顔を覚えていてよく話します。そのなかで、勝ち負けに関わらずスタッフにおごってくれるお客様と接しているうちに、「1万円払ったらその分の対価を何かで返せたらもっと面白いのでは」と思うようになりました。ホテルはサービス業のなかでも優良とされており、そこに挑戦したいと思ったのがホテル業界に入ったきっかけです。
中学生のころに現在勤めているホテルを知り、「このホテルで働きたい!」とずっと片思いをしてきました。新卒を採用しないホテルだったので、まずは自ら成長したいと思い、大学在学中は政治家の方のお手伝いなどをしていました。
その後、縁あって沖縄のホテルから内定をいただいたのですが、今のホテルでアルバイトを2週間する機会があったので「これを逃したら駄目だ」と参加し、バイト中に企画書を出すなどアプローチを続けました。アルバイトの終わりに働いていたレストランの担当者からお誘いを受け、沖縄のホテルの内定を辞退させていただき、今のホテルに就職しました。
大学時代は教師をめざして教職課程を履修していましたが、友人の付き添いで参加した合同説明会でホテルに興味を持ちました。いろいろなホテルの説明会に足を運び、今いる上司と出会ってこの会社で働きたいと思い、現在の会社に決めました。「ダメなら転職という選択肢もある」と思っていましたが、働くなかで人として成長できる環境だと感じ、現在も働き続けています。
高校時代から「何か沖縄に貢献したい」という思いがあり、沖縄のリーディング産業である観光業界を志望しました。ホテル業界に決めたきっかけは、ホテルで働くいとこがとても楽しそうにしていたのと、やりがいがあると聞いていたこと。また、人と接するのが好きで、いろいろな人と関わり、自分の言葉で「ありがとう」と言える仕事を極めたいと思ったからです。