菊間会長に聞く、ワールド航空サービスの見据える未来
将来継承すべきは個性的な商品力
社員は「自社だけでビジネスができる」200人規模に
1971年の創業以来、個性的なパッケージツアーで成長してきたワールド航空サービス。オーストリア・インスブルックでの長期滞在をパッケージ化した「ヨーロッパ避暑計画」を成功させ、16年から3年連続で実施しているウズベキスタンへのチャーター便を主導するなど、ユニークなアイデアと個人旅行ではなかなか行けないデスティネーションの開発で市場での存在感を高めてきた。今年の9月には成田/テルアビブ間で初となるチャーター便も手がける。同族企業として始まった同社の過去、現在、そして未来について、代表取締役会長の菊間潤吾氏に話を聞いた。(聞き手:トラベルビジョン代表取締役会長 岡田直樹)
菊間潤吾氏(以下敬称略) 父が会社を立ち上げたのは私が学生の時。オフィスは秋葉原の神田青果市場(いわゆる“やっちゃ場”)の角にあり、キャベツの切りカスを踏んでビルに入るようなところで、事務所も狭く、「こんなところに海外旅行に行く人が来るのか」と思った。スタッフも4、5名程度で、はじめはアルバイトとして手伝い、航空会社に提出するパッセンジャーリストを作成したりしていた。母も週一回会社に来て、経理をやるような体制で、すでに事業を進めている会社に入社したというよりも、創業メンバーの一人のようなものだった。
それからツアーの企画や募集を担当し、春休みや夏休みは添乗の手伝いもした。当時は海外での英語研修が始まった頃。私は獨協大学の外国語学部ドイツ語科だったので、ドイツ語研修の旅行商品を造り、手書きの募集ポスターを学校の掲示板に自ら貼ったりもした。大学を卒業する頃には、「父の事業を手伝わなければいけない」と漠然と思っていた。
一社員として入社し、ビザの申請など、現場の仕事はほぼすべて経験した。それから段階的に主任、課長、次長と昇級していった。今になって考えると、いきなり特定のポジションで入らなかったのはよかったと思う。旅行業界では、いわゆる帝王学でトップに就くのは難しく、一から業務を学ぶことが必要だと思う。
菊間 父は「事業は一番ふさわしい人に継承させる、息子だから継承するのではない」と言い続けていた。それでも、次期社長に指名されたときは、それまでの流れから「そうだろうな」と思った。
父は我が強くパワフルな経営者だった。握る寿司はとても美味しいが、店は汚く、うるさいことをいう「頑固親父の寿司屋」のような、よい商品が提供できればそれでよい、という人だった。父と社員との調整役を担っていたのが私だった。
社長に就任するにあたって、「うまい寿司を出す」というコアの部分はしっかり継承していこうと思った。大切なものを軽視すると、事業は持続していかないだろう。そのうえで、周辺の部分を整え、トータルバリューを造っていこうとした。