DS模擬問題:グアム編 チャモロの歴史と文化、旅行素材の隋所に
問 古代チャモロ人の社会形態にあてはまらないものは、次のうちどれか
A 母系社会を形成し、文化や伝統を守ってきた
B 絶対的指導者の下、3つの階層に分かれていた
C 漁師として、また織物や陶器の職人として、優れていた
D 土着の言語、チャモロ語をもっていた
−−正解は下記へ
ココに注目!
▽グアム観光の個性を形成した歴史と文化
グアムに行くと、チャモロという言葉を耳にすることが多いだろう。グアムの先住民族である、という程度は知られているが、実はチャモロ人の起源は不明な部分が多い。さかのぼること紀元前2000年とも1500年ともいわれているが、言語や文化の類似点から、インドネシアやフィリピンを経由して渡来した東南アジア系の人種とみられている。
チャモロ人は、3つの階層に分かれていたという記述があるが、特に支配者的な人物を置かず、村単位で集団生活をしていた。絶対的な母系社会を形成し、女性の権力が強いのも特徴。また、環境に適した住居やカヌーを造り、漁をして、織物や陶器の製作にも長けていたという。スペインの影響を色濃く受けた土着の言語チャモロ語は、今でもグアムの公用語の1つとなっており、約6万人の人々に親しまれている。
長くチャモロ人の島だったグアムだが、1521年3月6日、スペイン国王の命で航海していたマゼランがウマタック湾に上陸し、歴史の舞台に登場した。その後、1565年にスペイン領となり、333年間に渡る長いスペイン統治時代がはじまる。ガリオン船の中継地として栄えたグアムには、トウモロコシの栽培や家畜の飼育、キリスト教などが入ってきた。今でも島の隋所にマリア像や教会が残り、当時の様子をうかがい知ることができる。
ヨーロッパの文化が入ってくる一方で、失うものも大きかった。カトリック教の教えとチャモロの伝統的価値観に相違点が出てくると、それは1668年のスペイン・チャモロ戦争へと発展。チャモロの敗戦に終わった翌年、10万人といわれていたチャモロの人口は、実に5000人に減ってしまったといわれている。
1898年の米西戦争でアメリカの領地になると、今度は税制や公共事業、教育、保健衛生といった新たな社会基盤が取り入れられ、急速に米国化が進んだ。しかし、太平洋戦争勃発後の1941年に日本軍が上陸し、3年間は日本の占領時代となる。1944年に再び米国が取り戻したが、島内での日米激戦により、ここでも多くのチャモロ人が亡くなった。
▽食事や観光で触れるチャモロ文化
スペイン、アメリカ、日本の影響を受けた独特のチャモロ文化は、今やグアムの個性的な観光素材となっている。そしてこれらは、身近なところで接することができるのだ。チャモロ料理なら、街なかのレストランやファーストフードにチャモロのメニューが入っていたり、「オハナ・オーシャンビュー・ホテル」の「チャモロ亭」のように、チャモロ料理の専門店もある。デデドの朝市やタムニングのチャモロビレッジでは、チャモロフードの屋台が並んでおり、ローカルにも旅行者にも人気だ。
チャモロ料理は、ココナッツやレモン、トウガラシをふんだんに使うのが特徴。有名なメニューは、アチョーテの赤い実を浸した水で炊くレッドライス、塩、トウガラシ、ココナッツ、レモン汁の和え物ケラグエンなど。ケラグエンは、使う食材によってチキン・ケラグエン、フィッシュ・ケラグエンというようにいくつもの種類がある。また、カリントウのようなお菓子グズリアやココナッツとバナナを練って焼いた餅のようなアピギギは、屋台などでよく見かけるメニューだ。
地元の工芸品やローカルフードといったチャモロ文化を楽しむなら、アクセスの良いチャモロビレッジがおすすめ。特に、毎週水曜日の夜に開かれるナイトマーケットは、チャモロダンスやローカルバンドなどでにぎわうお祭りムードを体験できる。島の南部には、イナラハン・ゲフパゴ公園にグアム歴史村がある。古代チャモロ人の村を再現した場所で、ヤシの葉工芸、ココナッツキャンディやオイルの精製、伝統の製塩などのデモンストレーションを見学できるほか、体験プログラムも実施されている。
オプショナルツアーなら、タロフォフォ川をクルーズする「アドベンチャー・リバー・クルーズ」がいいだろう。ジャングルの中のチャモロ人集落跡で、2000年前の人々の暮らしを垣間見ることができる。また、チャモロダンスを中心とするステージと夕食をセットにしたポリネシアン・ディナーショーも必見。各ホテルやフィッシュアイ・マリンパークなどで開催されている。
写真提供:グアム政府観光局

正解 B

B 絶対的指導者の下、3つの階層に分かれていた
C 漁師として、また織物や陶器の職人として、優れていた
D 土着の言語、チャモロ語をもっていた
−−正解は下記へ
ココに注目!
▽グアム観光の個性を形成した歴史と文化

チャモロ人は、3つの階層に分かれていたという記述があるが、特に支配者的な人物を置かず、村単位で集団生活をしていた。絶対的な母系社会を形成し、女性の権力が強いのも特徴。また、環境に適した住居やカヌーを造り、漁をして、織物や陶器の製作にも長けていたという。スペインの影響を色濃く受けた土着の言語チャモロ語は、今でもグアムの公用語の1つとなっており、約6万人の人々に親しまれている。
長くチャモロ人の島だったグアムだが、1521年3月6日、スペイン国王の命で航海していたマゼランがウマタック湾に上陸し、歴史の舞台に登場した。その後、1565年にスペイン領となり、333年間に渡る長いスペイン統治時代がはじまる。ガリオン船の中継地として栄えたグアムには、トウモロコシの栽培や家畜の飼育、キリスト教などが入ってきた。今でも島の隋所にマリア像や教会が残り、当時の様子をうかがい知ることができる。
ヨーロッパの文化が入ってくる一方で、失うものも大きかった。カトリック教の教えとチャモロの伝統的価値観に相違点が出てくると、それは1668年のスペイン・チャモロ戦争へと発展。チャモロの敗戦に終わった翌年、10万人といわれていたチャモロの人口は、実に5000人に減ってしまったといわれている。
1898年の米西戦争でアメリカの領地になると、今度は税制や公共事業、教育、保健衛生といった新たな社会基盤が取り入れられ、急速に米国化が進んだ。しかし、太平洋戦争勃発後の1941年に日本軍が上陸し、3年間は日本の占領時代となる。1944年に再び米国が取り戻したが、島内での日米激戦により、ここでも多くのチャモロ人が亡くなった。
▽食事や観光で触れるチャモロ文化

チャモロ料理は、ココナッツやレモン、トウガラシをふんだんに使うのが特徴。有名なメニューは、アチョーテの赤い実を浸した水で炊くレッドライス、塩、トウガラシ、ココナッツ、レモン汁の和え物ケラグエンなど。ケラグエンは、使う食材によってチキン・ケラグエン、フィッシュ・ケラグエンというようにいくつもの種類がある。また、カリントウのようなお菓子グズリアやココナッツとバナナを練って焼いた餅のようなアピギギは、屋台などでよく見かけるメニューだ。
地元の工芸品やローカルフードといったチャモロ文化を楽しむなら、アクセスの良いチャモロビレッジがおすすめ。特に、毎週水曜日の夜に開かれるナイトマーケットは、チャモロダンスやローカルバンドなどでにぎわうお祭りムードを体験できる。島の南部には、イナラハン・ゲフパゴ公園にグアム歴史村がある。古代チャモロ人の村を再現した場所で、ヤシの葉工芸、ココナッツキャンディやオイルの精製、伝統の製塩などのデモンストレーションを見学できるほか、体験プログラムも実施されている。
オプショナルツアーなら、タロフォフォ川をクルーズする「アドベンチャー・リバー・クルーズ」がいいだろう。ジャングルの中のチャモロ人集落跡で、2000年前の人々の暮らしを垣間見ることができる。また、チャモロダンスを中心とするステージと夕食をセットにしたポリネシアン・ディナーショーも必見。各ホテルやフィッシュアイ・マリンパークなどで開催されている。
写真提供:グアム政府観光局

正解 B