取材ノート:海外旅行の閉塞感打破へ、「人が感じる楽しさ」の原点を見直す

  • 2009年8月19日
 財団法人日本交通公社(JTBF)が開催した「第14回海外旅行動向シンポジウム」のメインテーマは「“楽しい”の本質」。JTBF常務理事の小林英俊氏は「観光産業は感動産業で、これまでも旅行会社は楽しみを提供してきた」とする一方で、海外旅行市場がかつてない困難な状況に直面しつつある状況にも言及。「旅行会社は『旅行は無条件に楽しいもの』を前提としていたが、日本人の欲望は変わる状況にある。量と質だけでとらわれない深層心理の行動パターンをかけあわせて、初めて閉塞感を打破できる」と語り、「人間は何を楽しいと感じるのか、いい旅行とは何かを原点から考え直してほしい」と挨拶した。その手がかりとして脳科学者の茂木健一郎氏を招いた特別講義や、子どもや大人向けの人気の学習からヒントを探るためのパネルディスカッションを開催した。

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“質感”に気付きはじめた消費者

 特別講義「“脳”から考える“楽しい”の本質がカギだ! 旅のクオリア・観光地のクオリア」でポイントとなったのは、テーマにも記されているクオリア(感覚質)。クオリアとは自分自身の心の感覚にともなう全体的な質感のことで、茂木氏がクオリアを提唱した際、小林氏は「観光産業はクオリアについて学ばなくてはならない」と感じたという。

 茂木氏はクオリアが注目されたことについて、日本市場の成熟度に密接に関係していると説明。以前のバブル時代は機動型消費であったが、現在は自分たちの感じる質感で捉えるように変化したとする。その上で、「旅行はまさに『クオリア』。個々の要素でなく旅行を通して総合的に質感を感じる」とし、現在の旅行商品について「それぞれの点でみると素晴らしいものは多いが、それをつなぐクオリアの作りこみができていない」と指摘する。

 クオリアを感じる一例として、ミシュランガイドの三ツ星観光地に選ばれた高尾山や高級料亭をあげ、「点ではなく、線や面が総合的につくり込まれている」と説明。具体的には高級料亭なら皿の上の料理だけでなく、店の門を一歩入ったところから広がる手入れの行き届いた日本庭園や風情のある建物、各部屋の意匠を凝らした設えやサービス、そういったものすべてに上質な質感がある。その質感を理解する人がいるから、高額な価格でも受け入れられ、それが文化としても成立しているという。

 旅行も同様で「目的地だけが一点豪華主義になるのではなく、旅するすべての時間を楽しめるクオリアのつくり込みが求められている」と指摘。従来のパッケージツアーのように、観光地と観光地を組みあわせて詰め込んだものではなく、旅の時間すべてに質感のある海外旅行が必要とされている。茂木氏は旅行会社に対して、「日本では出会えないクオリアが海外にあることを伝えることが旅行会社の仕事だ」と話した。


旅の楽しみは“偶然出会う幸運”にこそある

 また茂木氏は、感動は“偶然出会う幸運”「セレンディピティ」から生まれ、旅の楽しみは不確実性にこそあるという。しかし、セレンディピティはガイドブックにも書いてない、ツアーの行程にもない、自分の力で見つけ出すものなので、旅行会社が提示するのは非常にむずかしい。安全確保や、パッケージツアーには旅程保証との兼ねあいもある。それでもあえて「旅行会社はセレンディピティを提案してほしい」と、茂木氏。ツアー内容に不確実性を組み込めなくても、例えばセレンディピティの体験をコンテスト形式で募集するなど、伝える手段はあると語る。

 実は脳のしくみとして、快感を伝達するドーパミンが分泌されるためには、あらかじめ予期されたものと偶有性の両方が必要だという。脳はまったく枠組みがないのも不安に感じる。そのため、枠であるところの定番の観光コースと、思いがけない何かに出会う可能性の時間をいかに組みあわせて旅行者にアプローチするか。これが脳に旅行の楽しさを働きかけるための、旅行会社の腕の見せどころになるだろう。


子どもと大人を夢中にする「学び」、共通項は「感動」の仕掛け

 「学びがエンターテイメントに!〜楽しく刺激する潜在欲求」と題されたパネルディスカッションには、玉川大学教職大学院教育学研究科准教授の谷和樹氏と、NPO法人グローバルキャンパス理事長の大社(おおこそ)充氏を講師に迎えた。

 観光立国教育の第一人者である谷氏は、小学5年生に実施したというエキサイティングな授業を、参加者を生徒に見立ててそのままを再現。インターネットを活用したビジュアルなどを駆使しつつ、クイズ形式で質問をたたみかけ、生徒たちの興味を引きつけながら世界の目線で観光の気付きを促す。従来のように答えを教科書のなかに見つけるのではなく、授業を通して「答えを見つける方法」を教えていく。子どもたちにとって、自分なりのやり方で自分たちが暮らす地域を知り、地域の宝を見つけ出すことは喜びにつながる。授業のなかで生徒が最も好きなのは、自分たちが見つけた地域の宝を他者へ紹介することなのだそうだ。感動が生まれれば地域に愛着を持ち、外部への発信に積極的に取り組むため、伝える力も身につく。

 大社氏は、シニア層における生涯学習のムーブメントについて紹介した。大社氏が理事長を務める「エルダー旅倶楽部」は、エルダー層(シニア層)の旺盛な知的好奇心や冒険心に応えるプログラムを提供している。これまで実施したプログラムの実例としてエルダー層は、パイロットやレーサーといった幼いころからの夢を実現して感動したり、体系的ガイド論よりも職人の話のようなディテール・エピソードに心を打たれたり、学び以上に交流や出会いを求めて心を震わせたりしているという。

 とはいえ無鉄砲なチャレンジをすすめるわけではない。安全性を確保しつつチャレンジ精神と両立させる方法として、例えばロングステイで個人が自由に街歩きをしていろいろな経験ができることを目的とする場合、最初はレクチャーや集団行動で街のルールや公共交通機関の利用方法などを体得し、2週間目くらいから個人行動がとれるようにするといったやり方を示した。こうしたテクニックは、旅行会社がシニア層をターゲットにしたプランを立てる際にも役立ちそうだ。

 子どもの学びと大人の学びに共通するキーワードは「感動」。子どもには答えを与えず手段だけ教えて、自分で発見する喜びを味わわせる。大人には、事前に伝えない部分を残すなど感動の要素を組み込む。旅行会社は感動をどのように商品に組み込んで仕掛けていき、それを旅行者に伝えていくかが重要だ。冒頭、小林氏が「5年後くらいにこのシンポジウムが効いて、形にして見せることができてくると思う」と話したように、すぐに商品に変化をもたらすのは難しくても、今回のシンポジウムは間違いなく日本人の行動の源にある感動を改めて見直す機会となった。旅行会社の今後の課題が見えてきた。


取材:工藤史歩