花で旅する世界(2)カナダ オタワ、チューリップ・フェスティバル

  • 2009年3月17日
世界最大級のチューリップの祭り

 日本で春の花といえば、誰もが「桜」を思い浮かべることだろう。では欧米で春の花といえば何か。イギリスの「プリムローズ」など、国や地域によってさまざまだが、多くの国で共通して植えられる春の花がある。その代表が「チューリップ」だ。本場オランダはもちろん、アメリカやオーストラリアでも春にチューリップの祭りを開催することが多い。

 毎年5月、長い冬が終わり、川面を渡る風にも冷たさを感じなくなる頃、カナダの首都オタワの町はチューリップの花に埋め尽くされる。チューリップ祭りは、本場オランダをはじめ、世界各国で春の訪れを祝うイベントとして開かれるが、オタワで開かれるカナディアン・チューリップ・フェスティバルは、その規模が世界一といわれている。市内に植えられる花の総数は実に300万本。世界中からフェスティバルを見学に来る人も多く、今やカナダを代表するイベントのひとつとなっている。

 2009年のフェスティバルは、5月1日から18日まで。チューリップは市内のいたるところで咲いているが、メイン会場はコミッショナーズ公園とランズダウン公園。いずれも世界遺産であるリドー運河沿いにある。ダウ湖畔に広がるコミッショナーズ公園に植えられているチューリップは50種類、約30万株。色だけでなく、形もバラエティに富んだチューリップが並ぶ様は壮観だ。

 ランズダウン公園にはチューリップだけでなく、オタワに駐在する各国大使館のパビリオンが並ぶ。パビリオンといっても、万博で出展するような立派なものではなく、大きなテントの下、関係者が民族衣装でそれぞれの国の文化を紹介するブースが並んでいる。国によっては、自慢の料理を味わってもらうためのテーブルなども並び、どこも手作り感があって、ほのぼのとした雰囲気。首都らしく、世界の国々と触れあう場となっている。実はこの国際交流は、チューリップ・フェスティバルの起源にも大いに関わりがあるのだ。



オランダとの友好の歴史がフェスティバルの起源に

 今年で59回目を迎えるこのイベント。その起源は第二次世界大戦中に遡る。1940年ナチス・ドイツに占領されたオランダを逃れ、王室の家族がカナダに亡命した。カナダ政府は彼らを温かく迎え入れ、安全な住処を提供した。

 その亡命中、女王ユリアナ(現ベアトリクス女王の母)が出産することになった。ここで問題が発生。オランダの法律では、オランダ領土でない土地で生まれたものには王族の資格が与えられないのだ。カナダ議会は一計を案じ、女王が出産する病室をオランダの治外法権区域とする法律を可決。生まれた子供(第三王女マルフリーテ)は無事、王族の資格を得ることができた。終戦後、オランダに戻った女王はカナダ政府とオタワ市民に深く感謝し、そのお礼に10万個のチューリップの球根を贈呈。その後数年にわたり、毎年チューリップを送り続けたという。

 1951年、オタワ市は送られたこれらの球根を市内の各所に植えて最初のフェスティバルを開催。そして年々その規模を拡大し、世界最大級のチューリップ・フェスティバルとなって今日に至っている。カナダとオランダの友好の印として送られたチューリップは、春の訪れを祝うだけでなく、多くの人々に国際交流の場も提供している。


▽カナディアン・チューリップ・フェスティバル公式サイト
http://www.tulipfestival.ca/


▽今週の特集
花で旅する世界(1)南アフリカ ナマクアランド(2009/03/16)