専門性で生き残る:ロシア・旧ソ連諸国専門のロシア旅行社
創業から半世紀以上に渡り「逞しい隣国」に総客
テーマ性の高い旅をマニアックな旅行者に
OTAの躍進や相次ぐ他業界からの参入などにより、環境変化が進む旅行業界。しかしそのような状況でも全国にはまだまだ、専門分野に特化して蓄積した経験とノウハウで勝負し、利用者の信頼を獲得している旅行会社は多い。本誌では今年に入り、そのような専門型旅行会社の現況や今後の展望を紹介する新たなシリーズとして「専門性で生き残る」を開始(第1回)。第2回は、1966年に「日ソ旅行社」として創立して以来、53年間に渡り日本を代表するロシア・旧ソ連諸国専門旅行会社としてその名を知られるロシア旅行社を紹介する。取締役営業部長の添田恵美子氏にお話を聞いた。
添田恵美子氏(以下敬称略) 日本とソビエト連邦の国交が回復してから10年後の1966年に、日本側の窓口となっていた有効団体の1つである「日ソ交流協会」の代表で、衆議院議員の和田敏明氏が音頭を取って「日ソ旅行社」を設立しました。海外旅行が自由化された2年後のことで、ソ連との交流促進が目的でした。90年には社長だった和田氏が亡くなり、現在の石元廣昭が社長に就任して、ソ連解体後の93年には社名を現在の「ロシア旅行社」に改めましたが、昔も今も「逞しい隣国であるロシアとの交流拡大」という企業理念は変わっていません。
添田 現在の年間売上高は約6億円で、アウトバウンドの取扱人数は約2000名です。社員はロシア人1名を含めて11名います。業績はロシア情勢に翻弄されやすいので、ピーク時には社員数28名で15億円を売り上げたこともありますが、80年のモスクワ五輪ボイコット問題や86年のチェルノブイリ原発事故、91年のソ連解体があった際には、旅行需要が前年から半減したりもしました。2006年頃からはロシアからの訪日旅行が増加していますが、やはりリーマンショックや東日本大震災などの後には激減し、近年は再び増加しています。
添田 「1回限りのロシア旅行」に並々ならぬ想いを抱いているお客様が多いですが、「白夜や鉄道が見える部屋に泊まりたい」「宇宙をテーマにした旅がしたい」「車椅子で行きたい」「辺境地に行きたい」といったご要望に、1つずつ丁寧に対応しているからだと思います。それをできるのは、モスクワ以外にも各地のランドオペレーターと広く取引をしているからで、オペレーターによって異なる得意分野をしっかり理解した上で、仕入れや手配に努めているのが、当社ならではの特徴だと思っています。
また、大手旅行会社のツアーよりも旅行代金が安いことも特徴で、例えばシベリア鉄道でロシアを横断する2週間程度の旅行は、大手では100万円近くするところを、当社なら半分程度で済みます。大手は添乗員に加えて、現地の日本語ガイドを付けるのでどうしても高くなりますが、当社はロシア語を話せる自社スタッフが添乗するので、価格を抑えることができますし、現地での臨機応変な対応なども可能です。