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現地レポート:南アフリカ、雄大な自然と都会のコントラスト

  • 2015年7月7日

自由への闘争の歴史を各地で体感
美しい自然やワイナリーも

ヨハネスブルグとプレトリア
南アフリカの歴史と今を辿る

プレトリアのユニオンビルディング(政府庁舎・大統領官邸)前に建つ巨大なマンデラ氏の像。高さ9メートル 首都プレトリアは隣接するヨハネスブルグとともに、アパルトヘイト政策を敷いた構造と解放運動の歴史を伝える場所が数多くある。なお、2005年からプレトリア市は行政市名を先住民の名前「ツワネ」に改名している。

アフリカーナーの歴史を示したフォールトレッカー・モニュメント内のレリーフ プレトリアの歴史上の見どころの1つはフォールトレッカー・モニュメント(開拓者記念碑)。ここには、英国人の進出によってケープタウンを追われて開拓者となっていたアフリカーナー(オランダ系白人)の歴史が大理石の壁にレリーフとして刻まれている。

 一方、ヨハネスブルグではソウェトツアーへ。複数のタウンシップ(旧黒人居住区)の総称であるソウェトには、大きな一軒家からトタンの長屋までさまざまな住居が並ぶ。マンデラ元大統領やデズモンド・ツツ元大司教といったノーベル平和賞受賞者を輩出し、反アパルトヘイト運動の中心的役割を担うなど、ひときわ有名なタウンシップとなっている。

射殺された13歳の少年を別の少年が抱える写真が世界に衝撃を与えた(ヘクター・ピーターソン博物館) 1976年、アフリカーンス語(オランダ系白人の話す言語)の導入に対し高校生が反対デモをおこなって、警官と衝突。数百人が犠牲となった。この「ソウェト蜂起」の歴史を展示するのがヘクター・ピーターソン博物館だ。ここから徒歩7分にあるのが、マンデラ元大統領が逮捕されるまでの住居マンデラハウスで、当時の暮らしぶりがうかがえる。同じフィラカジストリートには、ツアーでも利用する南アフリカ家庭料理レストランもあり、今では観光客で賑わう一帯となっている。

2番目の妻、ウィニーは今でも人気が高いという(マンデラハウス) 「マンデラ氏は27年間6ヶ月もの間自由を奪われながらも、釈放後大統領に就任し、亡くなるまで孤児への慈善事業にも取り組んでいた。それだけの力の源泉になったのが仲間たちの存在」とヨハネスブルグ在住ガイドの高達潔氏は語る。この仲間たちとの結束がわかるのが、サントン地区の北、リボニアにあるリリーズリーフ農場だ。ここはアフリカ民族会議(ANC)が非合法となった1960年に作られた軍事組織ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)のアジトだった場所。ウォルター・シスルなどANCのメンバーや支援者の活動や信念について、映像や音声など豊富な資料で示される。

ウムコント・ウェ・シズウェが武器を隠して運んだ旅行者用ツアートラック(リリーズリーフ) このようなマンデラ氏ゆかりの地からは、先住民も含めた多民族国家として、貧富の差などさまざまな問題を抱えながらも、人種を越えた融和に努め、連帯をはかろうとする前向きな姿勢がみられる。負の歴史を糧に、多文化が共存する「虹の国」をめざす姿は、世代を問わず学ぶことが多く、ツアーに組み込む価値があるといえるだろう。


取材協力:南アフリカ観光局
取材:平山喜代江