ハワイ体験レポート:日本のなつかしの風景にタイムスリップ
日本のなつかしの風景にタイムスリップ
〜ハワイ・プランテーション・ビレッジで移民の生活に触れる〜
「ワイケレ・プレミアム・アウトレット」で知られる、オアフ北西のワイパフ。かつて製糖産業で栄えたエリアだ。ここに、ハワイのサトウキビ産業が全盛だった頃、農園で働いた各国移民の歴史を学ぶ文化施設「ハワイ・プランテーション・ビレッジ」がある。日本からの訪問者は現在のところ、修学旅行をはじめとする学生団体が中心。しかし、この施設の郷愁を誘うような情緒は、むしろシニア層やヘビーリピーターをひきつけそうだ。今回は新潟県の旅行会社の視察に同行。折りしも、2009年は「ホノルル新潟県人会設立100周年」であり、新潟では移民100周年記念事業の予定があるという。日本各地とハワイを結びつけるテーマとしても活かせそうだ。(取材協力:ハワイ州観光局、大韓航空 取材:工藤史歩)
ハワイに日系人が多い理由を改めて認識
資料を展示する教育センターと移民の住居を再現した集落を回って、所要時間は約2時間30分。まず、教育センターで日系移民の3世という日本語ボランティアガイドに会い、資料の説明をうける。展示されているのは、1852年から1946年にかけて、プランテーションの労働力としてハワイへやって来た各国移民の歴史だ。日本人、沖縄人、中国人、ポルトガル人、プエルト・リコ人、フィリピン人、朝鮮人などで、沖縄は日本とはみなされていなかった。「日本からは特に新潟、広島、熊本から多く移り住んだ」というガイドの説明に、参加者たちは感慨深げ。写真ひとつを頼りに海を越えて来たという、うら若き「写真花嫁」の前で、参加者の足が止まる。
ここには、生きた歴史が残っている。資料として展示された写真には、着物姿の女やおかっぱ頭の子どもが写っている。「おばあちゃんの家にある写真を見たような、懐かしさ」(予約手配担当)を感じる。
農園労働者たちは、低賃金で仕事内容は厳しく、人種によって給料や待遇が違うなど、過酷な環境におかれていた。しかし、展示された資料から伝わってくるのは、重苦しさや悲しみより、開拓精神やたくましさだ。英語を母国語としない移民たちが意思疎通をはかるために生まれた、簡潔な英語「ピジン語」。「バンゴー」といった日本語も使われている。労働中に歌われた「ホレホレ節」のルーツは、広島県の唄だという。
現在のハワイ人には「AARC」というスピリットが受け継がれているという。受け入れ(Adopt)、変えて(Arrange)、残し(Remain)、寄与する(Contribute)の意味だと話すガイドの説明が、展示物を見た後は、素直に理解できる。ハワイには日系人が多く、日本食など日本の文化が根付いていることは知っていましたが、その理由を系統立てて学んだのは初めて。貴重な体験ができる」と、同行の旅行会社スタッフが感想を話す。
日本人がこんなにハワイが好きな理由
ここで一度休憩タイム。ハワイで採れたサトウキビやパンの実、ザボンのようなフルーツや「ヴィ」という木の実、ブドウのような木の実「ジャボティカバ」などを試食。その後、戸外に出て木の下のベンチに集まり、ガイドの話を聞く。木にはマカデミアナッツがなっていて、落ちたナッツを拾って石で叩き割り、生のナッツを味わう。
その後、「タイムトンネル」と名付けられたトンネルをくぐり、住居を再現した集落へ。中国人の会議所からはじまり、料理館、そしてポルトガル人やプエルト・リコ人の家など興味深い建造物が続く。家屋内には当時を彷彿とさせる家具や寝具、おもちゃ、写真などが展示されている。参加者がじっくり見入っていたのは、やはり日本人の家だ。
ここがハワイということを忘れそうなほど、日本そのもののような「若宮稲荷神社」。昔ながらの豆腐屋に、映画で見たような公衆浴場。1910年当時の長屋と1930年の住宅を比べてみると、わずか20年で生活環境がぐっと改善されている。先人の知恵とパワーに感じ入る。敷地内にはそのほか、集会場や医療施設、小規模な商店などがある。労働者たちは、つけ払いで購入し、給与から天引きされるという仕組みだったという。
「ハワイに来てまで歴史を学ぼうとはなかなか思わないけれど、訪れてみると非常に興味深い。大人でもじゅうぶん楽しめる」、「わずか100年前の日本人の歴史ということで、とっつきやすいし興味を持ちやすい」と、参加者の面々。「日本人がハワイに対して親しみを抱く理由がはっきりわかった気がする」との感想も。一方で「ここで味わえる悲しいような、でも清々しい気分を、お客様にどう伝えればいいか。単なる教育施設としては需要を伸ばすのが難しい」という意見もあった。
修学旅行以外にも可能性、シニアの観光素材として
今回、この施設を訪れていたのは修学旅行のグループで、大人の姿はなかった。しかし、現地を視察した旅行会社は口々に「この魅力は、学生より、むしろシニア層に伝わるはず」と話す。集落に再現されている日本家屋は、地方には今でも残っていそうな古民家で、「日本では昭和30年代ブームもありましたし、昔が恋しいシニアなら、感動すると思う」という意見があり、シニア層に適した素材と確認できたようだ。このため、施設側のパンフレットでの案内の拡充や、販売に向けた具体的なアドバイスなど、「シニア層にアピールする素材として、こうした場所を積極的に紹介して欲しい」と同行した旅行会社は語る。
また「これまで、ハワイに来るたびに日系人や日本文化に触れて、なんとなくハワイのスピリッツを体験していたヘビーリピーターにとっても、これまで感じていたことを系統立てて理解でき、目から鱗が落ちるような思いをするのではないか」といった意見もあった。
帰り際、大騒ぎではしゃぐ学生の姿を見た営業担当者が、「今は興味を持てなくても、ここで学んだ学生たちは、ハワイといえばブランドもののショッピングとビーチリゾートだった自分たちの学生時代とは、違うハワイが見えるのでしょうね」とひとこと。多様な見地から、さまざまな感想や印象を与えてくれるスポットである。
▽ハワイ・プランテーション・ビレッジ
http://www.hawaiiplantationvillage.org/
〜ハワイ・プランテーション・ビレッジで移民の生活に触れる〜
「ワイケレ・プレミアム・アウトレット」で知られる、オアフ北西のワイパフ。かつて製糖産業で栄えたエリアだ。ここに、ハワイのサトウキビ産業が全盛だった頃、農園で働いた各国移民の歴史を学ぶ文化施設「ハワイ・プランテーション・ビレッジ」がある。日本からの訪問者は現在のところ、修学旅行をはじめとする学生団体が中心。しかし、この施設の郷愁を誘うような情緒は、むしろシニア層やヘビーリピーターをひきつけそうだ。今回は新潟県の旅行会社の視察に同行。折りしも、2009年は「ホノルル新潟県人会設立100周年」であり、新潟では移民100周年記念事業の予定があるという。日本各地とハワイを結びつけるテーマとしても活かせそうだ。(取材協力:ハワイ州観光局、大韓航空 取材:工藤史歩)
ハワイに日系人が多い理由を改めて認識
資料を展示する教育センターと移民の住居を再現した集落を回って、所要時間は約2時間30分。まず、教育センターで日系移民の3世という日本語ボランティアガイドに会い、資料の説明をうける。展示されているのは、1852年から1946年にかけて、プランテーションの労働力としてハワイへやって来た各国移民の歴史だ。日本人、沖縄人、中国人、ポルトガル人、プエルト・リコ人、フィリピン人、朝鮮人などで、沖縄は日本とはみなされていなかった。「日本からは特に新潟、広島、熊本から多く移り住んだ」というガイドの説明に、参加者たちは感慨深げ。写真ひとつを頼りに海を越えて来たという、うら若き「写真花嫁」の前で、参加者の足が止まる。
ここには、生きた歴史が残っている。資料として展示された写真には、着物姿の女やおかっぱ頭の子どもが写っている。「おばあちゃんの家にある写真を見たような、懐かしさ」(予約手配担当)を感じる。
農園労働者たちは、低賃金で仕事内容は厳しく、人種によって給料や待遇が違うなど、過酷な環境におかれていた。しかし、展示された資料から伝わってくるのは、重苦しさや悲しみより、開拓精神やたくましさだ。英語を母国語としない移民たちが意思疎通をはかるために生まれた、簡潔な英語「ピジン語」。「バンゴー」といった日本語も使われている。労働中に歌われた「ホレホレ節」のルーツは、広島県の唄だという。
現在のハワイ人には「AARC」というスピリットが受け継がれているという。受け入れ(Adopt)、変えて(Arrange)、残し(Remain)、寄与する(Contribute)の意味だと話すガイドの説明が、展示物を見た後は、素直に理解できる。ハワイには日系人が多く、日本食など日本の文化が根付いていることは知っていましたが、その理由を系統立てて学んだのは初めて。貴重な体験ができる」と、同行の旅行会社スタッフが感想を話す。
日本人がこんなにハワイが好きな理由
ここで一度休憩タイム。ハワイで採れたサトウキビやパンの実、ザボンのようなフルーツや「ヴィ」という木の実、ブドウのような木の実「ジャボティカバ」などを試食。その後、戸外に出て木の下のベンチに集まり、ガイドの話を聞く。木にはマカデミアナッツがなっていて、落ちたナッツを拾って石で叩き割り、生のナッツを味わう。
その後、「タイムトンネル」と名付けられたトンネルをくぐり、住居を再現した集落へ。中国人の会議所からはじまり、料理館、そしてポルトガル人やプエルト・リコ人の家など興味深い建造物が続く。家屋内には当時を彷彿とさせる家具や寝具、おもちゃ、写真などが展示されている。参加者がじっくり見入っていたのは、やはり日本人の家だ。
ここがハワイということを忘れそうなほど、日本そのもののような「若宮稲荷神社」。昔ながらの豆腐屋に、映画で見たような公衆浴場。1910年当時の長屋と1930年の住宅を比べてみると、わずか20年で生活環境がぐっと改善されている。先人の知恵とパワーに感じ入る。敷地内にはそのほか、集会場や医療施設、小規模な商店などがある。労働者たちは、つけ払いで購入し、給与から天引きされるという仕組みだったという。
「ハワイに来てまで歴史を学ぼうとはなかなか思わないけれど、訪れてみると非常に興味深い。大人でもじゅうぶん楽しめる」、「わずか100年前の日本人の歴史ということで、とっつきやすいし興味を持ちやすい」と、参加者の面々。「日本人がハワイに対して親しみを抱く理由がはっきりわかった気がする」との感想も。一方で「ここで味わえる悲しいような、でも清々しい気分を、お客様にどう伝えればいいか。単なる教育施設としては需要を伸ばすのが難しい」という意見もあった。
修学旅行以外にも可能性、シニアの観光素材として
今回、この施設を訪れていたのは修学旅行のグループで、大人の姿はなかった。しかし、現地を視察した旅行会社は口々に「この魅力は、学生より、むしろシニア層に伝わるはず」と話す。集落に再現されている日本家屋は、地方には今でも残っていそうな古民家で、「日本では昭和30年代ブームもありましたし、昔が恋しいシニアなら、感動すると思う」という意見があり、シニア層に適した素材と確認できたようだ。このため、施設側のパンフレットでの案内の拡充や、販売に向けた具体的なアドバイスなど、「シニア層にアピールする素材として、こうした場所を積極的に紹介して欲しい」と同行した旅行会社は語る。
また「これまで、ハワイに来るたびに日系人や日本文化に触れて、なんとなくハワイのスピリッツを体験していたヘビーリピーターにとっても、これまで感じていたことを系統立てて理解でき、目から鱗が落ちるような思いをするのではないか」といった意見もあった。
帰り際、大騒ぎではしゃぐ学生の姿を見た営業担当者が、「今は興味を持てなくても、ここで学んだ学生たちは、ハワイといえばブランドもののショッピングとビーチリゾートだった自分たちの学生時代とは、違うハワイが見えるのでしょうね」とひとこと。多様な見地から、さまざまな感想や印象を与えてくれるスポットである。
▽ハワイ・プランテーション・ビレッジ
http://www.hawaiiplantationvillage.org/