旅と食文化-ベルトラ創業者 荒木篤実氏
旅の醍醐味の1つに現地での食体験がある。グルメでも粗食家でも、この点について異論のある方はあまりいないだろう。もちろん、なかなか舌に合わない料理もあるが、それは別の意味で刺激的であったりする。
日本とイタリアは、世界でも食通を唸らせる実力を国際的にも認められた数少ない国で、ご存知のように、ともに共にユネスコの無形文化遺産に登録されている。イタリアは、2025年12月、料理全体として世界初となる無形文化遺産に登録され、日本もまた「和食;日本人の伝統的な食文化」として2013年12月に無形文化遺産に登録されたことは記憶に新しい。
つまり日本、イタリア両国は、旅ビジネスにおいて、とても貴重な文化資産をもっていることになる。そこでイタリアと日本の食に対する文化的な類似点と相違点をみることで、旅のビジネスの未来を占ってみようと思う。
まずは、イタリア。食文化を語るために、料理そのものと、食事という行為、の2つに分けて考えてみたい。イタリア料理といえば、パスタやビザといった、いまや世界的な市民権を得た親しみ深い料理を思い浮かべる。が、おそらくイタリア現地での食体験とそれ以外では、天地の差がある。これは形だけは真似できても真髄はなかなか盗めないという意味でその奥深さを感じさせる。実例として、10年以上前に、イタリアのリミニという小さな港町のなんということもない普通のレストランで食べたボンゴレビアンコより美味しいパスタに、私はいまだ出会ったことがない。
次に食事という行為だが、これはイタリアに限らず欧州では料理を食べることが必ずしもメインの目的ではない。では何が目的かといえば、それは「人との語らいの場」であり、その手段として料理が利用されているのである。
一方で、日本の料理の真髄は、「出汁」と「旨み」にある。自然の恵みを活かす「引き算の美学」から生まれ、素材の持ち味を最大限に引き立てる思想。この考え方は、スープに代表される足し算文化のフレンチとは大きく異なる。自身の経験では、20年以上も前に強羅花壇で食した鮎雑炊をこえる雑炊にはいまだに出会えていない。
食事については、古来、日本にもイタリア文化と似た側面がもともとあったはずである。が、現代の、特に都市地域では、働き方の変化もあり、毎晩家族揃っての食事という行為はかなり珍しくなってしまった。その意味では「団欒」としての食事の意義が、現代日本からは削ぎ落とされつつあるのは残念だ。
イタリアと日本で、料理に共通しているのは、旬の食材を大事にする、という文化である。日本もイタリアも四季があり、旬の季節の食材を楽しみにする文化が根付いている。これはなかなか他の国ではみられない習慣だ。しかし近年、欧州各国で、秋には柿や梨が出回るようになった。これはとても興味深いことである。
一方で、日本とイタリアで違っている点もある。それは先述のように、食事という行為において、もっとも顕著に差が出る。人間が互いを尊重し相手を愛するということにおいては、ラテン民族の方が、残念ながら日本民族よりもはるかに深く日々の生活に根ざしている。これは長年欧州に住むなかで、いやというほど思い知らされてきた。日本では自宅での食事に招かれることは親族以外ではほぼなくなってしまったが、イタリアはじめ、欧州各国にはまだその文化が根強く存在する。
食事を、空腹を満たす機能面だけではなく、唯一無二のそれぞれの「民族固有の文化的な体験」としてとらえると、我々のビジネスも、大きくそのあり方が変わる可能性を秘めている。
パクサヴィア創業パートナー。日産自動車勤務を経て、アラン(現ベルトラ)創業。18年1月から現職。ベンチャー経営とITマーケティングが専門。ITを道具に企業成長の本質を追求する投資家兼実業家。
