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ヨーロッパレジャー需要の復活を目指して-フィンエアー日本支社長サカリ・ロム氏

 コロナ禍が収束して二度目の夏を迎えようとしているが、日本における海外レジャー旅行の需要復活の様相は、世界に遅れていると言わざるを得ない。日本市場にも知見が深く、またアジア諸国での責任者も歴任したフィンエアーのサカリ・ロム氏が2度目の日本支社長として就任して数か月。ヨーロッパの窓口ともいえるヘルシンキをハブに据えるフィンエアーは、日本ーヨーロッパ間路線についてどう見ているのか。

sakari
-最初に自己紹介をお願いします。

サカリ・ロム氏(以下敬称略) 1959年生まれで今年65歳になります。1963年、4歳の頃に父親の仕事の関係で初来日をし、京都と大津で幼少期を過ごしました。大津には、来日したフィンランド宣教師の子供達のための学校として設立された日本フィンランド学校というものがあったのです。生徒は全部で20~30名ほどで、学校の方針で生徒全員が寮生活をしていました。

 父親は宣教師であり、また国際連合(United Nations)の仕事もしており、私自身も日本とフィンランドを行ったり来たりする生活をしていましたが、高校の卒業資格を得るための試験を受けるために、高校2年生の時にフィンランドに本格的に帰国しました。

 その後、一時は建築家を目指したこともあったのですが、たまたま空いた時間で通い始めたツーリズムの学校でその魅力と可能性に気付き、志望を転向しました。ツーリズムの仕事をするのであればフィンエアーしかないと考え、当時のことですから、タイプライターで手紙を書いて求職申込をしました。当時はヘルシンキから500キロほど北にある町に住んでいたので、一日かけて汽車でヘルシンキまで向かい面接をした結果、採用となりました。

-今までのキャリアについてお聞かせください。

ロム 入社したのは1980年で、ちょうど日本への就航の話が出ている頃でした。当時のフィンエアーにとって、日本への就航を企画するというのは一大プロジェクトでした。3名体制のプロジェクトチームで何年もかけて市場の勉強やテストフライトを行い、1983年に初就航を果たしました。

 長らくフィンエアーでキャリアを積み、レベニュー・マネージメントとプライシングを管掌するバイス・プレジデントを務めたのち、2009年に日本に赴任となりました。5年の赴任期間が終わったのち、もう少し日本で働きたいと思い、フィリピン航空の日本支社カントリーマネージャー、エアアジアXとエアアジア・ジャパンのヘッド・オブ・ビジネスデベロップメントを務めました。

 フィンランドに帰国後はかつて消防署だった古い建築物を買い取って1年ほどかけて改装をするなど趣味を楽しみながら、いくつか自分で事業をやっていましたが、コロナ禍の終盤に再度フィンエアーから声がかかり、2022年1月からフィンエアーの中国支社長として仕事に復帰することにしました。