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コロナ禍、50歳からの独立・起業-MATCH 松宮英範氏

  • 2024年1月19日

 今年からコラムを担当させて頂く、MATCHの松宮英範と申します。一応1年間の予定ではありますが、早々に打ち切りにならない様に、まずは気負わずに初回は自己紹介含め、旅行業界の独立起業に関してお伝えします。

 新卒で旅行会社に就職し、26年勤めたのち、コロナ禍の2021年、脱サラ・起業しました。その話は、2022年夏のトラベルビジョン「仕事を変える」でインタビュー記事になりましたので、興味ある方はそちらもお読みください。50歳での挑戦は荒波に飛び込むつもりでそれなりの覚悟を持った筈でしたが、実際は順風満帆な船出となり想像を絶する苦労話など出来ないのが現実でもあります。

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 私が就職したのは1995年、日本人の海外旅行者数は1500万人、訪日外国人旅行は300万人という時代で、インバウンドはその後10倍に成長するも、アウトバウンドは微増という四半世紀でした。全国に支店のある会社でしたが、珍しく一度も転勤することなく東京勤めのまま、仕事は国内旅行が6年、海外旅行が20年、ずっと企画・営業一筋でした。

 仕事そのものは本当に楽しく、大学の同級生と飲みに行くと皆が会社の愚痴ばかりで、「何で?仕事面白いじゃん!」と言う私は完全に異星人でした。もちろん?一般の旅行会社らしく残業も多く、24時間いつでも海外からの緊急電話に対応ということもありましたが、基本的にはホワイト企業で有り難い環境でした。日本全47都道府県、海外50カ国以上、添乗や出張に奔走し、数千名集めた大ヒット商品も、問い合わせすらない全キャンセル商品もたくさん世に送り出しました。数年間続くクレームや、海外で雷に打たれた重病人の対応、未集金の永遠に続く請求、ストレスと過労で1ヶ月の入院と今も続く後遺症などは、これだけで3年間はコラムがかける程に体験させてもらった気がします。平社員→主任→係長→課長と、日本のザ・サラリーマン出世経験も出来たようです。

 全ては、前職で教わった、と思い感謝しています。

 ところが・・・このまま定年まで勤めて、何とか部長までは出世し、運良ければ役員などという思考回路が、なぜか私にはありませんでした。若い頃、同期の皆には、「社長になる」と豪語していたと思いますが、まさかこんな形(独立起業)で「社長になる」とは誰も想像しなかったでしょう。

 夢中になって仕事を楽しめた20代、社会との関係を深め家庭と子供を持った30代から、定年をイメージできる 40代で何かが変わり始めました。往復3時間近い通勤やつまらない会議(失礼!)、中間管理職の悲哀など、それっぽい理由も挙げることは出来ますが、その不満から転職という選択肢は私の辞書には載っていませんでした。会社を辞める発表をした時、多くの同僚から「どこに転職?旅行会社?それはないよね?」と異口同音に尋ねられ、「起業する」と伝えると、目を丸くして驚くばかり・・・。転職ではなく、自分で独立する、会社を作る、という状態はイメージないようで、実際、旅行業界では独立・起業は少ないのかもしれません。

 私は仕事自体には大きな不満はなかったので、転職する位ならそのまま定年まで勤めればいいだけでした。独立すれば自分の好きな仕事を定年や出世など気にせず、自由に楽しめる、結果、収入も大きくなる筈、という思いが膨らむ中で、誰も想定しない、まさかの世界的なパンデミックに襲われたのです。

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