【デュッセルドルフ現地レポート】オミクロン拡大中の一時帰国、春を迎えたドイツの今

  • 2022年5月17日

 はじめまして。ドイツ・デュッセルドルフ在住の玉井京子と申します。1983年から2007年まで、ドイツで旅行関係の仕事に就いていました。現在は業界からは離れていますが、長年住んで見えてきたドイツの素顔や現状をご紹介していきますので、お付き合い頂けましたら幸いです。

 本来は1月に初投稿を予定していたのですが、日本に住む母の具合が急激に悪化したため一時帰国することとなり、投稿が今になりました。ちょうどオミクロン株で日本の入国規制が一番厳しかった時期だったこともあり、まずは当時の入国の様子を記したいと思います。

昨年末のドイツの状況

 昨年12月上旬のドイツは、ワクチン接種者と未接種者への差別が最高潮に達していました。隣国オーストリアの年明け2月に全成人に接種を義務付ける決議に追随する風潮が国全体に広がりを見せるなか、3G規制(Geimpfte, Genesene, Getestete/ワクチン接種済、陰回復証明保持、陰性証明保持のみ電車に乗れたり店舗に入店できる)が2G規制(Geimpte, Genesene/ワクチン接種済、回復証明保持のみ店舗への入店許可)へと強化され、更には2Gプラス(Geimpte, Genesene+negative getestet/2Gに各当する者であっても更に陰性証明も必要)に再強化されました。陰性証明は多くが24時間以内のものに限られるため、レストランで食事をするのも一苦労でした。

 ドイツの風物詩であるクリスマスマーケットには柵が張り巡らされ、2G規制のもとワクチン未接種者は外側を通ることしか許されませんでした。キリスト教徒にとって一年で一番大事なお祭りを皆で祝うことを許可しないという異常事態です。

柵で仕切られたクリスマスマーケット

 当時ドイツのワクチン接種率はまだ70%に届かず、国としては接種を推し進めたい方針でした。コロナ禍が始まった2020年当初、全国規模で行われたフルロックダウンを当時のメルケル首相の演説のもと国民が一丸となって耐え抜いたときとは全く異なり、国民の分断につながるほどの強烈な政策は、ワクチン接種問題を超えて全体主義を彷彿させ恐怖を感じました。家族でもワクチンの接種の有無でデパートの中まで柵で仕切られ、ファストフードの持ち帰も出来ず、ホテルの宿泊も不可、スポーツジムや映画館にも入れず、ドラッグストアーと食料品店のみ入店可という、2020年のロックダウンを未接種者だけが強いられた状況でした。(なお、3月中旬から急激に流れが変わり、現在は未接種者への規制は全て撤廃され、ほぼコロナ前の状態に戻っています。詳しくは次ページで。)

 その頃日本では、オミクロン株の発生を受け、岸田首相が日本に乗り入れる国際線全てのキャンセルと新規予約の全面中止を決定。航空会社のサイトもクローズし、旅行会社も日本路線は新たな予約ができない状況に陥りました。ですが、日本政府の取った異例に素早い措置は数日後にあっけなく撤廃。そこで予約が再開されてすぐに最短でのフライトを確保し、数日後に日本へ出発しました。

日本への入国

 日本入国の書類は非常に細かく、外務省や厚生労働省のサイトを何度読んでもなかなか理解できず、航空会社のサイトやYouTubeで実際に帰国された方々のリポートなどを見て不安の解消に努めました。数種類のアプリのインストールや大量の書類が必要でしたが、一番慎重になるのは日本政府指定の陰性証明書の準備でしょう。一部でも内容に不備があると入国拒否となります。最初はそれが頻発したようで、帰国の費用が航空会社負担になってからは、出国の際の航空会社による書類確認に時間がかかり、空港のカウンターに長蛇の列ができたり遅延が続出していました。

 当時ドイツからの入国者には、6泊の強制隔離を含むトータル2週間の自主隔離がありました。ドイツ側も一度は日本からの入国者に国境を開いたものの、最初は3日だった強制隔離が6日に変更されると、それに応じて再び制限を強化。駐在員の家族が一緒に入国できず、駐在員が2度の往復を余儀なくされるなど、海外在住の日本人は翻弄されることになりました。

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