【ホテル総支配人リレーインタビュー】第11回 雲仙観光ホテル代表取締役社長総支配人 船橋聡子氏
名門クラシックホテルの矜持と戦略
スタンダードルームを売らない選択
第10回の東京ステーションホテルの藤崎斉常務取締役総支配人からバトンを渡されたのは、雲仙観光ホテル代表取締役社長兼総支配人の船橋聡子氏。日本の国際観光黎明期に開業した西洋式ホテルの伝統と格式を引き継ぎつつ、現代のニーズに対応する課題に日々取り組む同氏に、クラシックホテルの舵取りの難しさと喜びを伺った。(聞き手:弊社代表取締役社長兼トラベルビジョン発行人 岡田直樹)
船橋聡子氏(以下敬称略) 雲仙観光ホテルは昭和10年10月10日の午前10時に開業しました。日本政府がアジア初のオリンピック招致を目指していた時期で、外国人旅行客と外貨の獲得のためにも西洋式ホテルの開設が求められる時代背景がありました。日本初の国立公園に指定された雲仙は、当時活況だった上海航路が運航されていた長崎からも近く、風光明媚でリゾートホテルには最適な立地でした。
オーナーである堂島ビルヂングは、当時既に大阪でホテル事業の実績があったため白羽の矢が立ち、経営・運営を任されることになりました。以来85年以上経ちますが、これだけ長期間オーナーが変わらないホテルは日本でも唯一ではないでしょうか。外観はスイスのシャレー風ですが、堂島ビルヂングの祖業が船会社だったこともあり、館内は豪華客船をイメージして作られました。現在でもディナータイムには客船と同様にダイニングルームで銅鑼を鳴らし、開始を告げています。料飲部の新人が最初に学ぶひとつに銅鑼の鳴らし方があります。
船橋 名古屋市の出身で、父の仕事の関係で幼少期より欧州、海外生活は身近にありました。学生としてスイスにいた頃、後に国連難民高等弁務官になられた緒方貞子さんに憧れ、誰かの幸せや明るい将来への道筋作りに関わる仕事がしたいと、人道支援や国際交流などに関わる国際機関で働くことを考えるようになりました。しかし、家族で訪れたバーゼルの5ツ星ホテルで出会った総支配人が、この業界に入るきっかけを与えてくれました。その方の所作、居ずまい、国際感覚に優れた対応力などに心を射抜かれ、総支配人はまさしく民間の外交官であると同時に、人々の人生に彩を与えられる存在なのだと直感し、ホテルの仕事を目指すことになりました。
スイスのホテルマネジメントスクールを修了し、件のバーゼルのホテルに履歴書を送りましたが、当時はビザの問題を含め日本人の採用には厚い壁が立ち塞がっていたため断念。そこで帰国して名古屋の大型シティホテル接遇部での仕事を始めました。その後もう一度スイスに戻り、ホテルの勉強をして再帰国したのですが、バブル崩壊で望むようなホテルの就職口が見つからず、中日新聞社事業部で国際イベントやエキジビションなどの事務局マネジメントの仕事に就きました。その後、縁があってホテルニッコーサイゴンの開業準備室に入りホーチミンに赴任。開業後に家庭の事情で日本へ戻ることになり、ホテル日航福岡を次の職場に選びました。このホテルで開催された会議での堂島ビルヂングの社長との出会いが、雲仙観光ホテルでの仕事に繋がっていきました。
2012年に堂島ビルヂングに入社し、本社の新規事業開発室室長、経営企画部長兼雲仙観光ホテル副総支配人、取締役ホテル事業部長兼雲仙観光ホテル総支配人を任されました。総支配人は2015年から務めていますが、2020年4月に雲仙観光ホテルが堂島ビルヂングのホテル事業部から独立した時点で、代表取締役社長と総支配人を兼任することになりました。
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