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「コロナ禍で原点回帰、明るい光が先に見えている」
クラブツーリズム代表取締役社長 酒井博氏-新春インタビュー

「クラブツーリズム ニュースタイル」で新機軸
「新・クラブ1000構想」をプラットフォーム化

  酒井氏 テーマ性の高い旅行の造成・販売で、その存在感を高めてきたクラブツーリズム。コロナ禍でも、新基準ツアー「クラブツーリズム ニュースタイル」の販売を開始し、「新・クラブ1000構想」を打ち出すなど、攻めのビジネスを展開している。「コロナ禍は、原点を見直す良い機会になった」と昨年6月に代表取締役社長に就任した酒井博氏は話す。2021年も先行き不透明感が残る中、どのような舵取りをしていくのか。クラブツーリズムが描く未来図について、酒井氏に聞いた。(聞き手:弊社代表取締役社長兼トラベルビジョン発行人 岡田直樹)

—コロナ禍の昨年6月に社長に就任されました。これまでの半年を振り返っての所感をお聞かせください。

酒井博氏(以下、敬称略) 基本的に新型コロナウイルス対応から入った。Go Toトラベルの開始にともなって、商品造成を考える中で、改めて原点を見つめ直す機会となった。そのひとつが、「クラブツーリズム ニュースタイル」。大型バス1台につき19名に絞ったが、コストが上がるなかで、お客様に価値を認めていただけるのかは未知の世界だった。しかし、それを突き進めてたのはよかったと思っている。

 「クラブツーリズム ニュースタイル」を始めるにはあたっては、社員とはいろいろとぶつかることも多かった。現場は「たくさん売りたい。競合他社には負けたくない」といった思いが強い。ただ、旅行商品を提供するうえでは、安全安心の重要さは、シニアのお客様が多いので常に気にしているが、特にこのコロナ禍では、さらにそれを突き詰めた。9月からはバス1台30名というツアーも販売しているが、全商品の6割ほどが「クラブツーリズム ニュースタイル」になっている。コロナ禍で安全安心という考え方が浸透したことはいいことだと思っている。

—これまでのご経歴を教えて下さい。

酒井 1992年に近畿日本ツーリストに入社し、クラブツーリズムの前身となるメディア販売のセクションに配属され、2004年にクラブツーリズムに転籍した。その後は、国内旅行だけでなく、アメリカ、ハワイ、オセアニアなどの方面で海外旅行にも携わり、名古屋支店長も務めた。2010年には近畿日本鉄道に出向。そこでは、近鉄特急をさまざまな代理店に販売し、沿線の自治体と組んで観光開発もおこなった。いい勉強になったと思う。

 その後、近畿日本ツーリスト個人旅行に出向し、「e宿(いーやど)」を立ち上げ。OTAを含む流通を学ぶ機会にもなった。2017年からはKNT-CTホールディングスで事業構造改革を進めた。クラブツーリズムからは延べ10年ほど離れていたが、外から見ることができたのは、よかったのではないかと思っている。