ツーリズム産業が復興の主導に-危機時の取り組み、WTTCより
南三陸町の回復、女将が地域復興の鍵に
こうした議論を受け、様々なリスクに対応した経験がパネルディスカッションで紹介された。その中で、南三陸ホテル観洋の女将、阿部憲子氏の取り組みは興味深い内容だった。宮城県南三陸町は志津川地区などをはじめ、壊滅的な被害を受けた地域。ホテル観洋は高台にあるため、津波の難を逃れたが、着の身、着のままに避難をしてきた南三陸町の人々を受け入れ、震災対応にあたった。
阿部氏によると、被災直後は情報、電気が使えない状態で、これが4、5ヶ月も続き、孤立した状態だったという。このため、南三陸町の人口の流出は激しく、さらに同町の企業の廃業が続いた。その中で、ホテル観洋は、住民600人を受け入れた。その際、学生と経営者を重視したという。
理由は、学生は若く、これから町の回復を担う人材になること。また、経営者は町に会社がないと、復興、再生の道すじが描けないと考えたからだという。そして住民の受け入れは仮設住宅ができた現在も続いている。宮城県では2008年6月に岩手・宮城内陸地震も発生、過去の神戸での大地震の例からも学び、地域の現状を理解した上での改善点だ。
さらに三陸町は、石巻市、登米市など近隣の町へのアクセスに片道40分から50分かかるため、自らの旅館業を営む上でも町の産業の復興が必要不可欠と認識しているという。普段から多くの地域の企業と商品仕入れ等の取引をしていたため、多くの識者が指摘している地域との連携の重要性や地元の重要性を、自然と理解し、行動できたといえるだろう。
こうした努力があっても南三陸町の企業は廃業が続いているのが実態だという。行政の復興プランもままならない状況だ。それでも、ホテル観洋へ納品する企業も多く、この震災を通じ、「観光の裾野の広さが実感できた」と阿部氏は語る。まだ、復興、回復の道すじは描きにくい部分もあるが、阿部氏は「語り継ぐ事が使命。命の大切さを学ぶためにも、三陸町に多くの人が訪れていただきたい」という。
ツーリズム産業で、コミュニティとの関わりを築く重要性が指摘されているが、ホテル観洋は地域コミュニティの中で、自らが主体的にイニシアティブをとっている点で注目したい事例だ。この取り組みに対して、参加者から多くの拍手が寄せられ、会場の全体で激励を送った。
自然災害などの危機は準備をしていても想定通りの事が起こることは少ない。ただし、普段から危機への備えを蓄積し、そして危機が発生した際にはその本質を見極めることで、適切な対応法が見えてくる。そして初めてその場にあわせた柔軟な対応や、ホテル観洋のような「もてなし」も生きてくる。危機が発生した場合でも、自らの持ち場だけでなく、関連する人たちとのチームワークを保ち、コミュニケーションをはかり、主体的な役割を果たそうとすることが、ツーリズム産業が回復の原動力となる重要なポイントになる。