JTB100周年、「守るべきもの、変わるべきもの」-記念式典から
3月12日に100周年を迎えたジェイティービー(JTB)。記念式典でJTB代表取締役社長の田川博己氏は同日を「第2の創立の日」と位置づけ、「平和で心豊かな社会の実現」に貢献していく意欲を語った。次の100年を歩みだしたJTBがめざす場所、そしてその場所への道筋は――。式典で示された「JTBの次の世紀」を、田川氏の挨拶を中心に伝える。
▽100年で培った「DNA」
JTBの前身は“ジャパン・ツーリスト・ビューロー”で、1912年に当時の鉄道作業局に勤務していた木下淑夫氏が中心になって設立。当時、日本が日露戦争の戦勝国であるにもかかわらず、アジアの一小国として欧米から評価されていたことに木下氏が憤り、訪日外国人を増やし、その国内消費によって外貨を獲得する、あるいは日本の産物を経験してもらうことで輸出を拡大するという「外客誘致論」を展開したことが設立につながったという。
設立後、日本旅行協会、東亜旅行社、日本交通公社、日本交通公社などの変遷を経て、2001年1月からは現在の“ジェイティービー(JTB)”の社名を用いている。この100年を振り返り、田川氏は「お客様に正対し、新しいマーケットを作り出すことで需要を創出し、社会の発展や日本の国際化に貢献し続けることができた結果」とし、「これこそが先輩諸氏が脈々と受け継いできたJTBのDNAであり、フロンティアスピリット」と強調した。
田川氏は、これからの100年において「交流文化産業そのものが社会に貢献する世紀、つまりツーリズム産業の一翼をにない、交流を創造し、促進する当社グループが社会にその存在意義を認められ、世界中の人々から必要とされる企業グループとして永続している」ことが理想であると表明。この理想は「遠大」である前置きしつつ、「温故創新」の精神を重視して取り組む方針を語った。