ハワイ体験レポート:マウイ島の美しい小さな町、ハナ

  • 2010年5月13日
一度は訪れたい、天国のような場所、ハナ
〜ハワイ・リピーターのほか、真価の分かる旅慣れた客層に〜


 「天国のようなハナ」と呼ばれ、ハワイを訪れる世界中の人々に愛される小さな町、ハナ。マウイ島の東端にあり、カフルイ空港から約83キロメートルの道のり「ハナ・ハイウェイ」は、「天国のようなハナへの道」として有名だ。毎年4月下旬にはハワイの伝統食であるタロイモをテーマにしたイベント「イースト・マウイ・タロ・フェスティバル」が開催され、普段は静かな町がお祭りムードに包まれる。ハワイ・リピーターばかりでなく、大人のカップルや知的好奇心旺盛なシニアなど、真価の分かる旅慣れた客層にこそ勧めたい、ハナという特別な場所の持つ魅力を探った。
                  
                    

偉大な首長が暮らした聖なる地

 人口よりもハナ牧場の牛の数のほうが多い小さな町。1車線の曲がりくねった細い道を車で3時間以上も揺られなければ行くことができない場所が、「天国のような」と呼ばれ、多くの人々を魅了するのはなぜだろうか。答えを見つける手がかりのひとつが、ハワイの人々にとってハナが天国に近いほど聖なる場所であることだ。ハナはハワイ王家の先祖であり、高貴な血統とされた首長たちが暮らした場所、天上の地なのである。

 そんなハナの神聖さを体感できる代表的なスポットが、ハワイ州内最大のヘイアウ(神への崇拝、礼拝の儀式の場所)「ピイラニハレ・ヘイアウ」だ。ピイラニとは16世紀後半に君臨した偉大な首長の名前で、13世紀ごろに建てられたとされるこのヘイアウを、現在にほぼ近いかたちに整備拡大したといわれている。当時のハワイは、人々にとって神々の存在が生活の中心であり、大首長は神々の力といわれるマナが宿った神に近い存在として崇められていた。聖地であるピイラニハレ・ヘイアウには、いまもその時代の威光が残っているかのように、静かで荘厳な空間が広がっている。

 このほか、歴代のハワイの王のなかでも知名度が高いカメハメハ大王の正妻であったケオープオーラニはピイラニの血を濃く引き、カメハメハ大王よりも位が高く、当時もっとも高貴な女性とされていたという。さらにカメハメハ大王の最愛の妻であったカアフマヌの生誕地もハナにあった。このように、ハナは聖地といわれる逸話やスポットのある場所なのだ。


世代を超えて愛されるホテル・ハナ・マウイ

 ハナといえば、世界中の旅行誌に絶賛される伝説的なラグジュアリー・ホテル「ホテル・ハナ・マウイ」が有名だ。

 ホテルは、約23万平方メートルの敷地に対して全室スイートの69室のみ。ホテルのアクティビティやバレー・パーキング、フィットネスセンター、3ホールのゴルフの練習コースやスノーケリングやボディ・ボードのようなビーチ・ギアなどはすべて宿泊料金に含まれており、追加料金なしで利用できる。客室には「静かで穏やかな雰囲気を保つために、テレビとラジオ、時計を置かない」というコンセプトが貫かれている。

 敷地内には海とつながっているかのような眺望のすばらしいプールやスパがあり、全米トップ10に名を馳せるハモア・ビーチも近い。照明は必要最低限に抑えられており、月と星の光で過ごす極上の滞在が可能だ。この場所ならではのゆったりとした休暇を求め、5世代にわたって訪れるゲストも少なくない。

 これほどリピーターをひきつける理由は、ホテル・ハナ・マウイのホスピタリティの根源である「家族」にある。ホテルに働く人々全員が血縁か婚姻によって結ばれた文字通りの家族で、しかも何世代にもわたって働いている人々ばかりなのだ。従業員の誰か数人に、ぜひ聞いてみてほしい。ハワイのホテルはどのホテルでもハワイアン・ホスピタリティを掲げているが、ホテル・ハナ・マウイは他とは一線を画す。その一線は今後も消えることはなく、真似られることもないだろう。「ようこそいらっしゃいました」「またのお越しを楽しみにしています」「お帰りなさい、お待ちしていました」。それらの言葉の真実味こそが、このホテルの真価なのだと感じた。


ハワイの人々の生命「カロ」を祝う祭り

 ハワイではカロ、英語ではタロ、日本語ではタロイモ、ミズイモと呼ばれるこの芋は、古代からハワイの人々の主食。このカロの恵みを祝福して毎年行なわれる「イースト・マウイ・タロ・フェスティバル」が、今年は4月24日に開催された。祭りにはハナの人々が全員参加し、町の中心であるホテル・ハナ・マウイの横のフィールドは、人でごったがえしていた。朝9時、チャント(詠唱)と祈りとともにはじまり、町の住人が食べ物を売るブース、マウイ島内のカロを育てる農家が集まるテント、野菜や果物、花などを売る農家のテント、ハワイの文化を学ぶためのテントなどが出店。さまざまな催しが夕方5時ごろまで続いた。

 食べ物を売るブースは家族ごとに運営され、販売するメニューには必ずカロを使うとの決まりがあるため、それぞれの家が工夫を凝らし、伝統的なハワイアン・フードから、新作レシピまでが勢ぞろいする。まさしく、現地で楽しまれている本場の食文化が堪能できる。漁の町でもあるハナはアクレ(アジ)の漁が盛んなので、素揚げやすり身などの魚料理も多い。年に1度のハナの家庭の味を楽しみにやってくる人が多く、人気の品は昼前に売り切れてしまう。観光客にとってはハナの生活を体験する絶好の機会だ。

 また、見逃せないのは終日実施されるエンターテイメント。マウイ島でハナ出身と聞けば、音楽に長けている、フラが踊れる、漁で生計が立てられるのどれかがあてはまるといわれており、ハナ出身のミュージシャンは数多い。会場にはハワイ版グラミー賞のナ・ホク・ハノハノ・アワード受賞者が勢ぞろいとなるが、そこに気どりはなく、あくまでも和やかで楽しく賑わう町の宴といった雰囲気だ。旅先を選ぶきっかけは多い方がいいとしたら、タロ・フェスティバルの週末はハナを訪れる動機付けとしては申し分ないといえるだろう。




現在のハナを作ったポール・フェイガン

 ハワイの歴史は、1778年のジェームズ・クック到来に
よって大きく変わり、ハナにも近代化の流れが訪れた。
1849年にはサトウキビ産業が到来し、最盛期には6つの
サトウキビ工場が操業。1926年には現在のハナ・ハイウ
ェイが開通した。しかし、ハナは不便な物流条件によっ
て、サトウキビなどの産業で大きな成功はならず、1940
年代に経済が不況に陥ってしまう。

 この窮地の立て直しに一役買ったのが、すでに一線を
退いたサンフランシスコの起業家のポール・フェイガン
だ。この頃、たまたま訪れたハナで職を失った人々を見
たフェイガンは、モロカイ島から牛を運び、ハナ牧場を
開設。さらに大の野球ファンであったことから、地元サ
ンフランシスコの野球チームが温暖なマウイ島で合宿が
できるようにするための寄宿施設を建設し、人々の働く
場所の創出に努めた。フェイガンの尽力でハナの暮らし
向きが向上し、現在のハナの姿が作られていったのだ。
実は前述の「ホテル・ハナ・マウイ」も、フェイガンが
1946年にオープンした小さなイン「カウイキ・イン」が
はじまりだったという。



「天国のようなハナへの道」、ハナ・ハイウェイ

 「ハナまでたどり着いた!」「ハナに行ってきた!」
と興奮顔の観光客。それらの台詞を印刷したTシャツや
ステッカーが行く先々で見られるのは、マウイの日常風
景である。しかし、ハナへの旅は、それほどの冒険の旅
なのであろうか。

 距離は83キロメートル。カフルイ空港からハナまでの
道中、信号は道の行き方にもよるが、最少で2つ。道路
はすべて舗装されていて、迷うことはありえない一本道
だ。難関は蛇行していることと、道幅の狭さ。カーブミ
ラーのない約600のカーブ、54ヶ所ある橋はほとんどが1
車線であり、簡単なドライブではない。しかし、島国日
本も道は狭いしカーブも多い。「お先にどうぞ」の気持
ちさえあれば、日本人旅行者にとってハナへの道がとび
ぬけた冒険には思えないだろう。

 雨の多い島の北側の道であることを忘れず、スピード
を出さずにゆっくり行く。息をのむような景色に出会え
るが、車を道に停めたり、よそ見はしないこと。眺めを
楽しむための場所やトイレ休憩のできる場所は数ヶ所あ
るので、休憩はそちらへ。また一本道であるため、ゆっ
くり運転したいときは後ろの車への配慮を忘れずに。安
全な場所で路肩に寄れば渋滞にならずにすむし、自分の
ペースでドライブや景色を楽しむことができる。車の窓
も開けてみるといい。自然の音しか聞こえない数時間の
ドライブなど滅多にない。

 レンタカーを借りる際は、フルカバーの保険を。また、
ハナ・ハイウェイのはじまりであるカフルイの交差点か
ら52マイルまで、道の山側にあるマイル・マーカー(距
離の標識)を数えてみよう。見知らぬ土地をドライブす
るときの目安になる。「天国のようなハナ」への道はも
う目の前だ。




今週のハワイ50選
ハナ(マウイ島)



取材:神宮寺 愛