旅行業の生き残り戦略とは、異業種の事例に学ぶ−JATA経営フォーラム

時代の流れや天災に翻弄されて経営危機に

1932年に創業した富士フィルムは、今年で75周年。日本を代表するフィルム会社だが、現在、同社のフィルムの取り扱いはわずか3%というのが現状だ。新しいフィルムやインスタントカメラのヒットなどで2000年までは右肩上がりだったという同社だが、同年以降にデジタル化の波が一気に押し寄せ、05年には写真関連事業が赤字に転じた。カメラのフィルムだけでなく、製版や刷版のフィルム、医療におけるレントゲンなど、あらゆるフィルムがデジタルに変わっていく流れは今も続いているという。

柔軟な方向転換で生き残りの道を模索
はとバスが事業の再生に乗り出したのは1998年。リストラを含む総合的なダウンサイジングや財政基盤を立て直す経営改革を実行したが、何よりも大きかったのは意識改革だ。松尾氏は「経営者を含む全社員が危機感をもち、原点に返ってお客様ありきの商売であることを確認した」という。具体的には月500通届くアンケートの声に耳を傾け、徹底したメンテナンスで安全の確保をはかり、またはとバスの文化を築いてきたと言ってもいいガイドの教育により一層力を入れたという。「数年前に刷新したパンフレットは、改めてお客様への想いを形にしたものとして、魂を込めている」といい、パンフレットは、“はとバスにしかできない商品づくり”の分かりやすい一例だ。

SARSに打ちのめされて1ヶ月以上が経った時、EGL toursが打ち出したのは実にユニークなツアーだった。それは、香港の人々が香港を旅行する88ドルの日帰りツアー。袁氏は「国内に目を向け、外に出たい、遊びたいという人々の気持ちを刺激したことでこのツアーは当たった」と説明。まさに発想の転換で、社員は毎日出発する日帰りツアーのバスを外に出て見送ったという。袁氏はこの“見送り文化”を日本で学んだといい、こうしたきめ細かな接客がその後のリピーター育成につながっていると話した。
ヒントは自社の財産の中にこそ潜む
はとバスは徹底したCS(顧客満足)に目を向け、事業再生に10年間を費やした。松尾氏が「潜在事業である“旅”をいかに顕在化していくか、要は生身の人間力の成せる業」というように、同社の基盤となったのは人だった。また富士フィルムは、「自社の資源を今一度見直し、それをどう活用していくか」(杉本氏)が大切だとし、フィルム技術から化粧品を生み出すという予想外の事業を展開した。さらにEGL toursは、袁氏が「危機の時こそ自分より他人のことを考えてやってきた」というように、被災地に人を送り続けることで復興を助け、自社だけでなく旅行業界全体に貢献しながら、時代をたくましく生き残ってきた実例を示している。
取材:竹内加恵