読者レポート:インド東北地方の「インドにあらず」な魅力

  • 2016年4月19日

紅茶だけじゃないアッサム州と
大戦の語り部が生きるナガランド州へ

インパール作戦を体験した古老に面会
貴重な当時の話を聞く

100歳の古老とお孫さんたち。どう見ても日本人に見える  ミャンマー国境沿いにあるナガランド州のコヒマとマニプール州のインパールは、日本人にとっては太平洋戦争時に大勢の死者を出した忘れることのできない土地である。しかし、この地を訪れる日本人は限りなく少ない。太平洋戦争にまつわる地であれば、戦没者慰霊の旅が数多く催行されてもよかったのだが、この2州は長年、限られた人数しか入域が認められず、「行けないところ」と考えるのが業界の常識であった。最近になって入域制限がなくなり、徐々に日本人も訪れるようになっているが、特定のエージェントの主催旅行を除けば、訪問者は未だに旅好きの個人旅行者に限られている。

 実のところ、今回の旅の最大の目的はインパール作戦下のコヒマで日本軍の進出から撤退までをその目で見た古老に会い、直接当時の話を聞くことであった。インパール作戦を生き抜いた将兵の話は数多くあるが、戦場に住んでいた人々の話は皆無に近い。昨年には戦後70年の節目として、メディアが戦争体験者の話を随分と取り上げていたが、戦争に巻き込まれた第三者の話はとんと聞かず仕舞いだった。この先も、その第三者からの話を聞くことは難しいだろう。

 今年の2月で100歳になったその古老の話をここで披露する紙面はないが、極めて貴重な話を聞かせてもらうことができ、他の戦場以上に凄いところだったことがわかった。なお、話を聞きに彼の自宅へ向かう途中で気が付いたが、その日は12月8日で、ちょうど太平洋戦争の開戦日であった。

連合軍墓地の丘からコヒマ市街地を望む。教会が数多くある  「コヒマの戦い」は世界的にも有名で、公設の戦争博物館や「ナガ族民俗村」に加えて、市内には歴史学者による施設の博物館もあるなど、コヒマの主要な観光資源となっている。そのほか市内を一望する丘には連合軍の墓地があり、毎年の慰霊祭には英国から元将兵や遺族が訪れる。しかし日本の将兵については墓も慰霊碑も何もない。

 太平洋戦争中に日本の将兵が大勢亡くなった地には、厚生労働省のサポートによる慰霊ツアーが今も定期的に催行されている。しかし、最近になりようやく自由に旅行できるようになったコヒマやインパールへは稀なようだ。 

 現地での滞在は4泊5日のみで、今回はインパールまで足を伸ばす時間はなかったが、今回の旅ではインド東北地方が日本人にとって抵抗感のない、魅力的なデスティネーションであることを知った。インドなのにカレー料理もなく、宗教的な制約も少なく、モンゴロイド系の人々が多いなど、まさに「インドにしてインドにあらず」。紹介したもの以外にも、まだまだ彼らが自慢する観光資源や場所があるので、是非また訪問し、情報を得るつもりである。