現地レポート:台湾、親日と友日がつくった新素材
親日と友日にあふれる台湾 新しい素材と切り口の可能性
義援金165億円を贈った台湾
東日本大震災後の日本には、世界中の国々や人々から温かい支援の手が差し伸べられた。なかでも台湾の人々から165億円以上の義援金が寄せられた事実に、強く感謝の気持ちを持った日本人は少なくないはずだ。台湾が基本的に親日的だという認識はあっても、これほど日本を気にかけてくれているとは思っていなかったという日本人が大半だろう。
かつて日本が植民地政策を推し進めたアジアの各地域では、日本人旅行者を温かく迎え入れてくれるが、旅行中に日本人に対する微妙な空気を肌で感じる場面もあるだろう。そうした経験をするのも旅行の意義の一つだし、歴史教育の一環として、かつての日本の負の遺産を知ることが教育旅行の重要なテーマの一つになっていることも事実である。しかし、もう少し気持を安らかにできる旅もしたいのが人情だし、教育旅行に関しても歴史に対する光の当て方が異なる素材があってもいい。
トルコやフィンランドなど親日とされる国・地域はあるが、台湾は過去の植民地政策という歴史にも直面していた。その意味で台湾は、他のデスティネーションとは明らかに異なる可能性と素材を持っているはずだ。
日本より台湾で高名な日本人技師
今回、デスティネーションとしての“親日”台湾の可能性を感じさせる素材を取材できた。台湾南部、台南市郊外に今年5月8日にオープンした「八田與一記念公園」がそれだ。八田與一とは日本人土木技師の名前で、日本統治時代の台湾で嘉南平野の利水事業に尽力し、1942年に亡くなっている。
八田技師は日本ではそれほど知られていないが、台湾では大変な有名人だ。かつて不毛の地と言われた嘉南平野を台湾の穀倉地帯と言われるまでに大変身させた最大の功労者として台湾の人々に記憶されている。とりわけ台南エリアでは有名で地元小学校の教科書でも紹介されるほどだ。建設当時に貯水量世界第3位を誇った烏山頭ダムや、嘉南平野にはりめぐらされた総延長1.6万キロメートルの大用水路の建設を指揮した功績が、いまだに讃えられている。没後70年近くたつが、毎年必ず八田技師の墓前祭が催され、台湾の有力者たちも多数出席する。
台湾の最高指導者である馬英九氏も、総統に就任した2008年以降は毎年墓前祭に出席。「八田與一記念公園」整備事業も、馬総統が2009年の墓前祭で発表して始まったもので、総統直々の指示による国家プロジェクトだ。現在も満々と水をたたえる烏山頭ダムから車で10分ほどの距離にある記念公園は、5.1ヘクタールの土地を嘉南農田水利会が提供し、交通省観光局西拉雅国家風景区管理所が1億2000万元(約3億4000万円)を投じて建設にあたった。
公園内にはダムや用水路建設の際に八田技師や部下らの宿舎として建設された日本式家屋64棟のうち4棟が復元されている。また園内の「八田技師記念館」では技師の業績を紹介した記事や書籍を見学できるほか、ドキュメンタリーフィルムを見ることもできる。
海外修学旅行の新素材として
これまで海外修学旅行といえば、英語圏を対象とした国際交流重視の内容、あるいはアジアを中心にした歴史教育重視の内容が主流だった。こうした場合、第2次世界大戦に関する素材を取り上げることが多く、結果的に、戦争の前提となった日本の植民地政策を反省するものになりがちだ。一般的に植民地政策は負の遺産を残すものであるし、現地から好意的な評価など存在しないと考えても不思議ではない。旅行会社としてもこれまで、植民地政策の“別の側面”を紹介できるような提案をするきっかけを持てないでいた。
しかし、台湾は馬総統が八田與一記念公園の開幕式で指摘したように「事実は事実として評価し、恩と怨みを明確に分けることが大切」との考え方が受け入れられている場所である。その象徴的な存在が八田與一記念公園であり、同園は日本の教育旅行素材として貴重な素材になり得る。実際に八田與一記念公園を視察した全国修学旅行研究協会の粟飯原幸男事務局長は、「八田氏の功績は日本人として誇れるもの。日本の高校生にも学んでほしいと感じた。今後、協会としても台湾修学旅行の学習素材として八田與一プログラムを作り全国の学校に発信していきたい」と評価している。
旅行会社も商品化に前向きだ。ユナイテッドツアーズ社長の越智良典氏は「施設そのものは比較的地味だしインパクトも大きいとはいえない。しかし歴史に興味あるシニア層を対象とするテーマツアーや、教育旅行の素材として期待できる。また、あまり知られていない海外における日本人の遺徳を紹介し伝えていくことは、旅行会社の義務の一つだと思う」とし、商品化に取り組む考えを明言する。
日本家屋の残る康青龍エリア
台北にも観光素材になり得る日本統治時代の物件が残っている。現在は台北市の文教生活圏として知られる康青龍エリアは、おしゃれなカフェやレストラン、ショップが点在する一方で、数多くの日本式家屋が残っている一画でもある。かつて日本統治時代に「昭和町」と呼ばれた区画と重なり、1930年頃を中心に旧台北帝国大学の教職員宿舎用に日本家屋が多数建てられ、その一部が現在も残っている。建築後70年以上が経過し、傷みの激しい物件もあるが、5年ほど前から地元住民の間で保護運動が起こり、現在は行政当局による日本家屋群の修復事業も始まっている。
康青龍エリアは、日本でも少数派になりつつある“昭和の日本家屋”をまとまって見ることができる貴重な場所であり、海外でありながら昭和レトロ愛好家には見逃せないエリアともいえる。現地の住民や行政が修復に乗り出してくれている点でも貴重な観光素材といえよう。
康青龍エリアは、点在する日本家屋の見学に疲れたら、カフェやレストランなど休憩スポットにも事欠かない。エリアの北端は鼎泰豊本店などのグルメスポットも数多い永康街で、散歩の途中に一息つくのに最適。エリアの東端は「大安森林公園」にも隣接しており、緑あふれる台北のオアシスで一休みすることもできる。
開園式には馬総統らVIPが出席
今年5月8日におこなわれた「八田與一記念公園」開幕式には馬英九総統や閣僚、駐日大使に相当する台北駐日経済文化代表処の馮寄台代表も出席。日本からは八田家の関係者や、八田氏の出身地である石川県選出の森喜朗元首相、日華議員懇談会の国会議員約30名、金沢市長らが参加した。
開幕式では馬総統が、日本と台湾の関係の特殊性と親密性を的確に指摘する挨拶をした。馬総統は「4年前に私は八田氏の生涯と業績を知り、台湾への貢献に対し、より大きな敬意を示すべきだと認識し、八田與一記念公園の設立を提案した。<中略>世界地図を広げると北回帰線が通っている16の国と地域はいずれも大部分が砂漠、乾田などで台湾もその例外ではなかった。100年前の嘉南平野には用水路もなく塩害も深刻で作柄も悪かった。しかし若き技師として台湾に赴任した八田技師が、勇気と熱意と誠意によって不毛の地を台湾有数の大穀倉地帯へと変えた」と紹介。
その上で、「私は反日派としてメディアに紹介されることもあるが、そうではない。台湾を統治した50年間に日本が残したインフラが台湾に貢献したことを軽く見るべきではない。植民地の歴史を決して美化はしないが、事実は事実として評価し恩と怨みを明確に分けることが大切であり、それでこそ台日両国が未来志向になれる。東日本大震災への台湾からの義援金については、これまでに台湾で震災などがあるたびに助けてくれた日本に対して、われわれがするべきことをしたまでのこと。まさかの時の友が真の友というものだ」と挨拶し、“友日派”をアピールした。
取材:高岸洋行