スイスインターナショナルエアラインズ、社員の経験を尊重し、サービス向上めざす

  • 2008年2月6日
ヨーロッパのなかでも観光立国として人気の高いスイス。その空の玄関口であるチューリッヒへ、成田からダイレクト便で結んでいるのがスイスインターナショナルエアラインズ(LX)だ。尾翼に描かれた「赤地に白十字」のロゴマークは旅行者たちの間にすっかり定着し、日本でも根強いファンに支持されている。先ごろ、成田からチューリッヒへのLX169便に搭乗し、最新動向を探ってみた。
(取材・文:秋本俊二、取材協力:スイスインターナショナルエアラインズ)


高度1万メートルで本格フレンチが楽しめる

 「スイスへの出張でいつも楽しみにしているのが、機内での食事です。著名な日本人シェフが手がけた本格フレンチは、あさっりした上品な味付けで、わわわれ日本人の舌に合いますね」と同乗した日本人ビジネスマンのSさんはいう。彼はチューリッヒに本社を置く産業機械メーカーの日本法人に勤務しており、出張は毎回、LX169便に搭乗するという。

 LXのサービスは、ミールのクオリティが高いといわれる。日本発のファーストクラスとビジネスクラスで、東京・四谷の「ホテル・ドゥ・ミクニ」のオーナーシェフである三國清三氏が手がけたメニューが楽しめる。三國氏は2001年に同エアラインの前身である当時のスイス航空と契約し、自身のプロデュースによる機内食の提供をスタートした。


10分以上遅れて離陸したことがない

 同じくSさんがヨーロッパへの出張でLX169便を利用するのは、もう一つ別の理由がある。運航時間の正確さだ。「私たちビジネスマンが重視するサービスは、せいぜい食事くらい。ほかに望むのは、とにかく時間どおりに飛んで欲しい。限られた時間の中で、常にぎりぎりのスケジュールで行動していますからね」とSさんは言う。

 「10分以上遅れて離陸したことがない」ことは、スイスエアーの時代から、利用者に抜群の支持と信頼を得てきている。これは発注した飛行機の製造工場に社員を派遣し、ボルトの締まり具合やビスの打ち方まで一つひとつ点
検し、機材の状態を常に把握しているのだ。

 スイスエアーは2001年の米国同時テロによる大西洋路線の急激な収益悪化により、経営が破綻。その後、2002年3月にスイス政府30%、民間70%の資本援助を受けてスイスインターナショナルエアラインズとして再スタートを切ったが、「頑固なまでの正確さ」は新会社にも確実に受け継がれている。その背景には「社員と、社員のもつ経験を何よりも大切にする」という同社ならではの経営理念がある。


蓄積された社員の経験を会社の財産に

 「経営が苦しくなった時期の人員削減も、ふつう会社は給料の高い古い社員から切りたいですよね。でもスイスエアーは、若い層から順にリストラしていったんです。『若い人たちは次の働く場を見つけるチャンスも多いだろう』というのが会社の説明でした」。そう話してくれたのは、LX169便に乗務していたビジネスクラス担当の長尾美紀さん。長尾さんはスイスエアー時代に日本人客室乗務員第10期生として入社。以来、18年間、勤務を続けてきた。結婚して現在は2児の母となったが、いまも現役で東京/チューリッヒ間を飛び続けている。

 「機内でのサービスは『必要なときに、必要なものを提供する』を基本にしています。サービスのやり方をマニュアルで縛らず、クルーたちの臨機応変な対応に任せているというのもこの会社の特徴かも知れません」と長尾さんは続ける。「そのために、日々のフライトで社員一人ひとりが蓄積した経験を会社の財産として尊重しようという風土が、社内にはありますね」


日本人客室乗務員の採用も10年ぶりに再開

 スイスインターナショナルエアラインズは2007年7月、ルフトハンザグループの一員になった。現場の社員たちにとっては、働き方など、現場で変化はあるのか。長尾さんは「まったく変わりません。仕事も、社内の雰囲気もいままでどおりです。スイスという国の一番の特徴は、人々の勤勉さ。真面目で几帳面な国民性がどこよりも正確なエアラインを築きあげてきました。私たちは、このブランドをこれからも大切に守っていきたいと思っています」という。

 長尾さんは最後に、笑顔で「かつて120人いた日本人客室乗務員が、現在は30人にまで減ってしまいました。しかし、しばらく途絶えていた日本人社員の採用が今年10年ぶりに再開され、春には16人の新人が入ってきます。その中には男性パーサーもいるそうです」という。


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