専門性で生き残る:寺院参拝と「アショカツアーズ」のビーエス観光
国内の団体参拝からインド旅行へ拡大
手配旅行に注力、めざすは「中堅優良企業」
OTAの躍進や相次ぐ他業界からの参入などにより、環境変化が進む旅行業界。しかしそのような状況でも全国にはまだまだ、専門分野に特化して蓄積した経験とノウハウで勝負し、利用者の信頼を獲得している旅行会社は多い。本誌では今年に入り開始した「『FSA』トップに聞く」「事業承継の成功例を知る」に続き、そのような専門型旅行会社の現況や今後の展望を紹介する新たなシリーズとして「専門性で生き残る」をスタートする。
第1回は、1953年に国内寺院の団体参拝のための「永総会」として発足したのち、インドなど海外の仏跡への団体旅行を開始。さらに83年には、一般向けのインド旅行ブランド「アショカツアーズ」も立ち上げ、現在ではインド旅行の専門性と品質の高さでもその名を知られるビーエス観光を、アショカツアーズの事業を中心に紹介する。なお、代表取締役を務める水野剛氏は今年の3月まで5年間に渡り、専門型旅行会社の連合会である「旅専」の会長を務めている。
-まずはビーエス観光のこれまでの歩みをお聞かせ下さい
水野剛氏(以下敬称略) 53年に発足した曹洞宗本部の旅行部門の「永総会」が前身で、59年には「曹洞宗観光協会」として独立し、各地に営業所を開設した。69年からはインドの仏跡や聖地などを訪れる団体旅行を少しずつ手掛けるようになり、75年にはビーエス観光として法人化した。その後、海外旅行が活況を呈していた83年に一般向けのアショカツアーズを開始すると、競合相手がいなかったこともあり面白いように売れ、徐々にインド専門旅行会社としての地位とブランドを確立していった。
-水野社長がビーエス観光に入社された時期と、その後の経歴もお聞かせ下さい
水野 まずは高校卒業直後の78年に、ビーエス観光の社長をしていた父に「世界を見てこい」と促されてインドに渡り、取引先のデリーのランドオペレーターの社長の家庭にホームステイした。インドの第一印象は強烈で、デリーは何もかも飲み込むような混沌とした街だったが、人々は皆エネルギッシュですぐに魅了された。
住み込みで仕事を手伝ったり、現地の大学に通ったりして約2年間をインドで暮らした後は、しっかりと勉強をしたいと思い、米国の大学で経営学を学んだ。帰国した後はしばらく外資系企業で働いたが、28歳の時にビーエス観光に入社し、インド担当としてパッケージツアーの企画やオーダーメイド型ツアーの手配に力を入れてきた。社長になったのは2010年で、50歳の時だ。
-水野社長がインド旅行を扱ってきた約30年間には、色々と紆余曲折があったのでしょうか
水野 アショカツアーズを立ち上げた80年代は調子が良く、一般向けのパッケージツアーだけでなく、団体向けの聖地巡礼ツアーも良く売れた。インド旅行については競合する会社がいなかっただけでなく、地上コストも安くて利益率が高かったため、インドが会社を支えていたような時期もあったほどだった。
しかし海外旅行全体が下火になり、2001年の米国同時多発テロ事件、02年のインド・パキスタン関係の急速な悪化、03年のSARS(重症急性呼吸器症候群)の流行などで立て続けに打撃を受けた。その後は大きく伸びることはなく、現在のインド関連の取扱高はピーク時の半分近くで落ち着いている。専門旅行会社は、専門性の強みとは裏腹に、有事の際のリスクが大きいのが難しいところだ。
ただし当社は、比較的安定している国内の仏教マーケットを大きな基盤としているため、このような危機を乗り越えることができている。国内の団体参拝については、現在は曹洞宗だけでなく、浄土宗などの他宗派も幅広く取り込んでいる。