アングル:ジェンダー中立旅券、「受容」の入り口か落とし穴か

アングル:ジェンダー中立旅券、「受容」の入り口か落とし穴か
 2月2日、学生のマルス・プロッペさんの性自認は「ノンバイナリー」、つまり男性でも女性でもない。写真は2021年11月、アルゼンチン・ブエノスアイレスで行われたLGBTQパレードAで撮影(2022年 ロイター/Agustin Marcarian)
Rachel Savage and Annie Banerji
[ロンドン/ニューデリー 2日 トムソン・ロイター財団] - 学生のマルス・プロッペさん(23)の性自認は「ノンバイナリー」、つまり男性でも女性でもない。いつか性別欄に「X」と記されたパスポートを持てればいいと以前は願っていた。だが1年前、アイスランド政府がその選択を認めると、プロッペさんは別の思いを抱くようになった。
ジェンダー中立的な渡航書類を導入した国はすでに10数カ国を数えるが、ノンバイナリーやトランスジェンダーの中には、その使用をためらう人もいる。海外旅行の際に、かえって差別や面倒な手続に見舞われることを懸念しているからだ。
天体物理学を学ぶプロッペさんは、「今後、修士の学位も取りに行きたいし、できれば世界中を旅行したいけれど、パスポートの性別欄が『X』だと難しいのではないか。少なくとも、本当に安全な旅行は無理なのでは」と語る。
「もっと年を取って、できれば世界がノンバイナリーの人たちに対してもっと普通に優しくなったときに、『X』と記載されたパスポートを取るつもりだ」
多様な性自認や、生まれつき男性と女性の体の特徴を合わせ持つインターセックスの人々の存在への認識や受容が広がる中で、LGBTQ+の権利擁護を求める活動家たちは、アイスランドや米国などさまざまな国の政府によるジェンダー中立的なパスポート発行の動きを称賛している。
米国は昨年、バイデン大統領の選挙公約を守る形で、初の「X」記載のパスポートをデイナ・ジムさんに発行した。ジムさんはノンバイナリーかつインターセックスで、非定型的な性徴を備えて生まれた。
米国以前には、オーストラリア、ニュージーランド、パキスタン、インドといった国々が「X」などジェンダーに関して第3の選択肢を提供している。
だが、ジェンダー中立的なパスポートを認めた国々で暮らすトランスジェンダーやノンバイナリーの人々からは、こうした指定によって出入国管理担当者から不要な注目を浴びたり、航空券の予約が難しくなってしまうのではないかという懸念の声が上がっている。
トランスジェンダーのニュージーランド人で、代名詞にthey/themを使うアレックスさんは、「多くのトランスの人々の場合、もちろん私自身も含めてだが、(渡航書類と外見を見比べて、性別が)『違う』と思われると、よけいな保安検査を受ける羽目になってしまう」と語る。
「だから自分のパスポートには『X』という記載を希望しなかった。そのせいで私を特別視して追加の保安検査をしようと思う人が増えてしまうかもしれないと考えたからだ」と語った。 アレックスさんは仮名を条件にウェリントンから電話でトムソン・ロイター財団の取材に応じた。
ニュージーランド政府の広報官によれば、同国は1982年には性別欄に「―」(ダッシュ)を記載したパスポートを発行した。最初の対象者は、トランスジェンダーの権利擁護活動家であるドラァグパフォーマー、カーメン・ループ氏だった。
この表記は2005年に「X」に変更され、さらに7年後には医学的・法的要件も撤廃され、法令に定める宣誓を行えば誰でもこのパスポートの発行を受けられるようになった。
<雇用への影響は>
活動家らによれば、湾岸諸国で働く移民労働者の主な出身地である南アジア諸国では、トランスジェンダーやノンバイナリージェンダーの人々の間に、中立的なパスポートのせいで保守性の強い湾岸地域に働きに行けなくなる可能性を恐れる声があるという。
「これは痛ましい状況だ」と語るのは、ネパールのゲイ権利擁護団体ブルーダイヤモンドソサエティのピンキー・グルング氏。この団体では、LGBTQ+の移民労働者に対し、渡航に関するアドバイスと支援を提供している。
ネパールでは、「Other(その他)」を示す「O」を記載した身分証明書を発行している。この「O」は、LGBTQ+とインターセックスの人々を包摂するカテゴリーだ。
インドでも同様に、パスポートや国民向けの身分証明カード「アドハー」など大半の公的書類で3種類のジェンダー表記、つまり男性、女性の他にトランスジェンダーを使える。パスポートでの表示は「T」だ。
この「T」には、ノンバイナリー、インターセックス、トランスジェンダーの人々が含まれる。南アジアでは長い歴史を持つトランスジェンダーのコミュニティである「ヒジュラー」(隣国パキスタンでは「クワジャシラ」)もここに該当する。
自分たちの性自認がインドとパキスタンで公的に認識されることは、多くのヒジュラーとクワジャシラの活動家にとっては重要な勝利として受け止められたが、必ずしもその全員が「第3の性」の指定を受けることを急いでいるわけではない。
パキスタンのトランスジェンダー活動家のゼーリッシュ・カーンザディ氏は、自分のパスポートと身分証明カードの記載を「M(男性)」のままにしている。
「記載を変更すると、以前在籍した学校や大学の卒業証書などあらゆる書類を変更しなければならないようだ」。また、第3のジェンダーを記載した書類のために、毎年の巡礼「ハッジ」でサウジアラビアを訪れることが不可能になるかもしれない、とカーンザディ氏は心配する。
在パキスタンのサウジアラビア大使館にコメントを求めたが、回答は得られなかった。
トランスジェンダー権利擁護団体である全米トランスジェンダー平等センターのオリビア・ハント氏は、ジェンダー中立的な身分証明書とパスポートは重要である一方、潜在的な落し穴もあると認める。
「(ジェンダー中立的な公的文書は)性自認についての力強い声明になり得る。だが、リスクと見返りのバランスを取る必要がある」とハント氏は語った。
<「システムに問題あり」>
多様な性自認を認めるよう企業に求める声に応えて、複数の大手航空会社は、予約フォーム上のジェンダーとしてノンバイナリーを選択できるようにすることを約束している。
米国のデルタ航空、ユナイテッド航空、アメリカン航空、英ブリティッシュエアウェイズやニュージーランド航空は2019年、顧客に対して男性・女性以外の選択肢を新たに提供すると発表した。
トムソン・ロイター財団が各社のウェブサイトを調べたところ、現時点で「M」「F」以外の選択肢を追加しているのはユナイテッド航空とアメリカン航空だけだ。ニュージーランド航空では、ジェンダー中立的な敬称として「Mx」の使用が可能だ。
デルタ航空の広報担当者はメールで、今年中に「ノンバイナリーというジェンダー選択肢」を導入すると述べた。
こうした動きは、多様な性自認に対する認知向上の兆しとして歓迎される一方で、LGBTQ+の活動家の間には、身分証明書類や予約フォームその他旅行に必要な書類における性別欄の撤廃を究極の目標とすべきだとの考え方もある。
ニュージーランドのアレックスさんは、「時の経過とともに、システムそのものの劣悪さと、二分法(バイナリー)による性別システムでは実際にうまく行かないという認識が生まれつつある」と語る。
インドの金融界の中心地であるムンバイでパティシエとして働くノンバイナリーのルバニ・シンハさん(19)は、ショッピングモールや映画館から空港に至るまで、あらゆる場所で保安検査の列が男女別のままであることに強度の不安を抱くようになった。
「実際には何の意味もないのに、根拠もなく(ジェンダーを)尋ねられる」と、シンハさん。
「航空会社は乗客のジェンダーを知って何をしようというのか。知るべき理由などない。だが、あいかわらず尋ねられるし、そこで選択を強いられる」
(翻訳:エァクレーレン)

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