五輪招致「停止」で札幌のまちづくりは 秋元克広市長「長年のノウハウ生かす」も具体論待ったなし

産経新聞のインタビューに応じる札幌市の秋元克広市長=令和5年12月22日、同市役所(坂本隆浩撮影)
産経新聞のインタビューに応じる札幌市の秋元克広市長=令和5年12月22日、同市役所(坂本隆浩撮影)

1972年以来2度目の冬季五輪と初の冬季パラリンピックの開催を目指してきた札幌市が昨年12月、招致活動の「停止」を表明した。札幌では当面の開催が見通せなくなったほか、東京五輪・パラリンピックをめぐる汚職事件で地元の不信感が広がったのも逆風となった。今後のまちづくりを、五輪開催という起爆剤を事実上欠いた中でどう進めていくか。秋元克広市長は産経新聞のインタビューに対し「長年の招致活動のノウハウを生かした取り組みを進める」と語ったが、具体化はこれからだ。

「札幌のまちを新たなステージに導き、北海道の未来を創造する一歩になる」

札幌市議会で当時の上田文雄市長が2026年の冬季五輪・パラリンピック招致に乗り出す方針を表明したのは、9年余り前の平成26年11月のことだった。

上田氏から後継指名を受けた秋元氏は「上田市政の継承」を掲げて平成27年の市長選で初当選。冬季五輪招致にはとりわけ力を入れていたが、平成30年9月に北海道胆振(いぶり)東部地震が発生すると、札幌市は招致目標を2030年大会に切り替えた。

振り返ると、今回の招致活動停止につながる暗雲は、すでにこのときに漂っていたのかもしれない。

新型コロナウイルス感染拡大で活動は停滞を余儀なくされる。東京五輪・パラリンピックをめぐる汚職事件で五輪への風当たりも強まった。札幌市と日本オリンピック委員会(JOC)は昨年10月、2030年大会の招致を断念した。

2034年以降の招致を目指して仕切り直しを図ったが、翌11月の国際オリンピック委員会(IOC)理事会で2034年大会は米ユタ州ソルトレークシティーを最優先候補地に決め、2038年大会もスイスとの対話を優先するとした。これで、当面は札幌開催の実現可能性がなくなった。

「退場に近い」。札幌市幹部はこう受け止めた。秋元市長も「仮に2038年大会の招致可能性が再浮上しても(開催は)15年先になる。そのときの経済状況などを見通すことは難しい」として、招致活動停止という苦渋の決断をした。

市民の支持必須

札幌市が冬季五輪招致で期待したことは2つある。一つは、大都市でありながらスノーリゾートでもある「都市型スノーリゾートシティ」としての魅力を発信し、冬の観光を活性化すること。もう一つは、競技などで使う施設の整備で「国の手厚い支援や民間投資の動きを期待できる」(秋元市長)ことだ。バリアフリー化や既存施設の改修などに伴う財政負担を五輪効果で軽減する狙いがあった。

それでも、地元で招致への支持は広がらなかった。

札幌市が作った大会概要案には、各競技会場は過去の大会で使った施設を改修・再利用し、税金も原則投入しないことなどが盛り込まれていた。だが、東京五輪では開催経費の上振れや金にまつわる不祥事が相次ぎ、市民から懐疑的な声が早くからあがっていた。

秋元市長は昨年4月の市長選で3選を果たした。しかし、招致反対派の2候補が4割超の票を獲得した。

「五輪開催には市民の圧倒的な支持と協力が必要だった。開催しても、市民の協力を得られない大会は成功しない」。秋元市長はインタビューでこう強調し、将来的な招致の可能性を残すためにも「これまでの進め方を検証していかなければならない」と述べた。

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