魅せる観光地の作り方

「もう一度上昇気流に」官民で再生に動いた山口・長門湯本温泉

温泉街のリニューアルが進む長門湯本温泉
温泉街のリニューアルが進む長門湯本温泉

今年7月、西日本鉄道の高速バスが福岡市の西鉄天神高速バスターミナルから、長門湯本温泉(山口県長門市)へと走り始めた。運行初日の乗客の中に結婚記念日の旅行を計画した20代の夫婦がいた。「長門には日常を離れられる景色や今どきのカフェもある。街を歩くのが楽しみ」

西鉄天神高速バスターミナルを出発する長門湯本温泉行き高速バス「おとずれ号」=福岡市
西鉄天神高速バスターミナルを出発する長門湯本温泉行き高速バス「おとずれ号」=福岡市

長門湯本温泉は山口県で最も古い温泉で、600年の歴史を持つ。宿泊客の減少や旅館の廃業といった課題に官民挙げて立ち向かい、高級宿泊施設を運営する星野リゾート(長野県軽井沢町)の進出やレストラン、カフェの開業で、温泉街のリニューアルが進む。

「あのときの英断で温泉街は変わった」と地元関係者は口をそろえる。平成26年、温泉街入り口にある老舗旅館が廃業した際、建物の公費解体を決めた市の決断のことだ。

温泉街の再生に取り組んだ山口県長門市の大西倉雄前市長
温泉街の再生に取り組んだ山口県長門市の大西倉雄前市長

変わるチャンス

「このままだと長門市のイメージダウンになる。なんとかしなければ」。26年の年明け、当時市長だった大西倉雄氏(72)は、破産した「白木屋グランドホテル」を前に危機感を募らせていた。

ホテルは地元屈指の規模で、撤去費が高額となるため当面放置されると見込まれた。大西氏は再生に向けて事業者を探したが、業者側は「せめて更地になれば…」と首を縦に振らなかった。「解体しなければ何も始まらない」。大西氏は建物の公費解体を決断した。

解体費は国の補助金を活用しても、土地取得費を含めて市の支出が2億円超と試算された。「なぜ破産したホテルを助けるのか」。大西氏は議会や市民から批判を浴びたが、「湯本がにぎわえば市の産業にプラスになる。もう一度上昇気流に乗せよう」と説得して回った。同時に日本の観光業を牽引(けんいん)する星野リゾートを誘致したいと夢を描いた。

「ダメ元」ではあったが、大西氏は東京にある山口県の出先機関に出向していた市職員に、星野リゾートの事務所に通うよう指示し、自身も同社の星野佳路代表を訪ね「湯本を変えたい」と熱弁を振るった。ホテル再生と温泉街を作り替えるマスタープランの作成を依頼して星野氏の心を動かし、28年、進出が決定した。

星野リゾートの進出に対し、地元旅館からは客を奪われることへの不安の声も出た。しかし、若い世代を中心に「湯本が変わるチャンス」「全国への発信力になる」という声が上がり、ある老舗旅館のトップは「星野リゾートがくれば競合はする。だけど湯本のためには1軒より2軒の方がいい」と大西氏に声かけた。官民が膝詰めで意見を交わし、再生への方向性を共有した。

好循環に

長門市と地元事業者は、星野リゾートが提案したマスタープランのもと、全国の温泉ランキングでトップ10に入る目標を掲げ、再生計画を始動した。

長門湯本温泉は昭和59年には約40万人の宿泊者が訪れたが、平成26年には18万人に減少。団体から個人旅行への変化に対応できず、施設の稼働状況が悪化して安値競争に走る悪循環に陥っていた。各施設の収益力を向上し、魅力創出に投資する好循環に変える必要があった。

地元事業者もリスクを取って動いた。「行政に頼ると人ごとになる。できることをしよう」。旅館「玉仙閣」専務の伊藤就一氏(48)は有志と自己資金を出し合い、空き家を改装してカフェを開設した。

長年の課題だった立ち寄り湯「恩湯(おんとう)」の建て替えにも取り組んだ。施設は老朽化と行政運営で赤字が続いていたが、市が整備・運営事業者を公募することになり、有志と会社を立ち上げて、新しいシンボルへと一新した。

再生計画の実行には、経済産業省から市に出向していた木村隼斗氏(38)も手腕を発揮した。観光地再生に精通した木村氏は、事業者や専門家をそろえ、計画を前に動かした。「頑張っている人の後押しをしたいと公務員になった。地域の挑戦には大きなハードルがある。一緒に取り組みたい」。木村氏は経産省を辞職し、同市のまちづくり会社に移った。

28年から4年をかけ、温泉街を流れる音信川(おとずれがわ)沿いの道路や河川などが再整備された。新たな飲食店に加えて、令和2年に「星野リゾート 界 長門」が開業。白木屋グランドホテルの元経営者も再起をかけ、カフェを開いた。

西鉄も「挑戦」

こうした動きに対して、西鉄営業企画部長の宮崎泰氏(50)は「長門の人たちと一緒に仕事がしたい」と強く思ったという。

コロナ禍の業績悪化でバスの休廃止を進める西鉄にとって、高速バスの新設には社内で慎重意見があった。その中で林田浩一社長は「チャレンジ精神でやろう」と背中を押した。

短期間で結果が求められる3年ぶりの新路線。高速バス事業の回復を目指し、乗客数の目標を年1万人と掲げる。宮崎氏は「バス事業者は行政の補助金をあてにしてしまいがちだが、今回は資金でなく人を中心とした関係」と、地域連携の新たなモデル確立を期待する。

運行開始セレモニーに参加した現市長の江原達也氏(59)も「高速バスを九州のみなさんに使ってもらえるよう、おもてなしに磨きをかける」と誓った。

明治維新で傑出した人物を多く輩出した長州。現在は官民が団結して地域の難題に挑み、温泉街に変革を起こしている。(一居真由子)

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