アトランティック・カナダ4州の概要
カナダ大西洋岸に広がる4州アトランティック・カナダは、あらゆる意味でカナダのルーツと言うべき場所です。
ヨーロッパ側から見れば大西洋をはさんですぐ近くにあるこのエリアは、16世紀以降、ヨーロッパ人によるカナダ開拓や入植のゲートウェイとなっていました。実際、アトランティック・カナダには、カナダ初めての入植地、カナダで最初にできた教会、カナダで最初に誕生した町など、いたるところで「カナダ初の」と但し書きがついた史跡が残されています。英国植民地時代、カナダ建国に向けての最初の会議が開かれたのも、このアトランティック・カナダの小さな島、プリンス・エドワード島でした。
また地理的にも、ここは広大なカナダの出発点です。総距離約8000キロにも及ぶ国道1号線「トランス・カナダ・ハイウェイ」や、大陸横断鉄道「VIA鉄道」は、アトランティック・カナダの都市を東の基点とし、広大な大陸を横切り太平洋へと抜けていきます。
新大陸に入植して広大な国土を開拓、19世紀の建国から現在までの150年足らずの間に、世界に稀に見る多民族国家を作り上げた、そんなカナダの「始まり」が随所に残されたアトランティック・カナダ。その穏やかな自然と、伝統的な街並みのすべてが、訪れる人をそこはかとないノスタルジーの世界にいざなってくれます。
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アトランティック・カナダへは、エア・カナダのバンクーバー便あるいはトロント便でカナダに入国後、同社の様々な国内線ルートでアクセスが可能です。特にトロントやモントリオールからは各州への直行便も運航しています。またアトランティック・カナダのハブ空港となるハリファックスからは、エリア内各地へネットワークが充実。ここを基点に周遊するのも便利です。
アトランティック・カナダの主要都市には、現地出発のツアーがあるので、それらを利用して観光を楽しむのが便利です。また運転に自信のある方は、空港などでレンタカーを借りて自由にドライブ旅行を楽しむのもおすすめ。特に紅葉のシーズンは、気のむくままに大自然を満喫でき、快適です。
主要都市をはじめ小さな町にもホテルやモーターインなどが充実しています。また古くからある名士の屋敷などを改装して宿にしているヘリテージ・インが多いのも、歴史あるこの地域の特徴です。小規模ながら、優雅で趣のある滞在が楽しめるのが魅力。またこの地域の素朴さを実感できるB&Bやカントリー・インも人気。とくにご夫婦での旅にはこうした場所でくつろぐのもおすすめです。

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![]() 1783年のアメリカ合衆国独立と前後して、アメリカからは約5万人ともいわれるロイヤリスト(英国王室に忠誠を誓い、英国からの独立に反対する人々)が、北の英国植民地に逃れてきました。なかでも、アメリカに近いファンディ湾北岸一帯には3万人近くのロイヤリストが定住。セント・ジョン川を遡りながらいくつかの街を作っていった彼らは、当時ノバ・スコシアの片田舎であったこの一帯を自分たちの植民地として確立することを望み、英国の同意を受けてニュー・ブランズウィックが誕生しました。 |
![]() 15世紀後半、イギリス王の命を受けたジョン・カボットによる発見以来、北米の最東端にあるニューファンドランド島はヨーロッパ各国の漁業基地として、またやがては北大西洋における英国の重要な軍事拠点として発達。長らく英国植民地として存在し続け、カナダ連邦に加わったのも第2次世界大戦が終了した1945年のことでした。 |
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![]() アトランティック・カナダの中でも、カナダ開拓の歴史が最も色濃く残されているのが、ノバ・スコシア州です。1605年に、フランスのサミュエル・ド・シャンプランがファンディ湾の東側に上陸、ポールロワイヤルという入植地を建設。これが、スペイン領のフロリダ以北では初めて、北米の植民地となりました。以降、フランスの植民地アカディアとして開拓が進められましたが、やがて英仏の植民地争奪戦が繰り広げられ、結果英国領ノバ・スコシアとなります。フランス系住民のアカディアン追放なども起こり、その悲しい歴史はワーズワース・ロングフェローの叙事詩「エバンジェリン-アカディアの物語」にも描かれています。 |
![]() 1864年、プリンス・エドワード島(P.E.I.)のシャーロットタウンに英国植民地の代表が集まり、カナダ建国に向けての初めての会議が開かれました。この歴史的な出来事により、このカナダ最小の州でもある島は、「カナダの生まれ故郷」として人々に愛されています。 |
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